
ゴッホが切ったのは耳たぶではなく、耳のほぼ全部だった
決め手は、医師がかいた1枚のスケッチ。
この判定の対象「ゴッホが切ったのは、耳たぶだけだった」
もくじ
カリフォルニア大学バークレー校のバンクロフト図書館。その書庫に、目録(何がどこにあるかを書いた一覧)にものっていない古い箱がありました。中身は、作家アーヴィング・ストーン(Irving Stone)が小説を書いたときに集めた資料です。
2010年、この図書館で司書の助手として働くデイヴィッド・ケスラー(David Kessler)は、ある研究者の問い合わせを受けて、この資料を何度も探していました。そしてついに、2つに折られた1枚の手紙を見つけます。差出人は、フランスの医師フェリックス・レー(Félix Rey)。日付は1930年8月18日です。
手紙には、人の左耳の絵が描かれていました。そして耳の付け根を横切って、はっきりした線が1本。レー医師は、1888年に画家ゴッホ(Vincent van Gogh)の傷を手当てした医師でした。線は、ゴッホがかみそりで切った場所を示していたのです。
「ゴッホが切ったのは耳たぶだけ」。長いあいだ、そう言われてきました。でもレー医師の絵では、ゴッホは耳たぶをわずかに残して、耳のほぼ全部を切っていました。
この記事では、まず事件の夜に何が起きたかを見ます。次に、「耳たぶだけ」という説が広まったわけと、レー医師の手紙が見つかるまでを紹介します。最後に、耳を受け取った女性がだれだったのかをたどります。
011888年12月23日の夜、ゴッホはアルルで左耳を切った
事件が起きたのは、南フランスの町アルルです。ゴッホはここで「黄色い家」を借り、画家ゴーギャン(Paul Gauguin)と一緒に暮らしていました。
ゴッホの手紙を集めた書簡集は、ファン・ゴッホ美術館などが公開しています。その書簡集についている注(説明)によると、12月23日の夜、ゴッホは急な心の発作に見舞われました。そして左耳を切り、町の売春宿に持っていきました。翌朝、警察が家に行くと、ゴッホはベッドで倒れていて、すぐ病院に運ばれました。
1週間後の12月30日、地元の週刊新聞がこの事件を報じます。記事によると、ゴッホは夜11時半に店に現れ、ラシェルという女性を呼び出して、耳を手渡しました。そして「この品を大切にとっておいて」と言い残し、立ち去ったといいます。
02ゴッホが切ったのは「耳全部」か「耳たぶだけ」か、証言は2つに分かれていた
「耳全部」と「耳たぶだけ」という2つの証言は、事件のころからありました。
書簡集の注によると、事件のときアルルにいた人たちは「耳全部」と言っていました。ゴーギャン、レー医師、そして警官のロベールです。新聞の記事も同じでした。
一方、「耳の下の部分だけ」と言った人たちもいました。ゴッホの弟テオの妻ヨー(Jo van Gogh-Bonger)、医師ガシェの息子、そして画家シニャック(Paul Signac)です。カリフォルニア大学バークレー校の図書館によると、最近まで歴史家たちは、こちらの「耳たぶだけ」という説を信じていました。

03「耳たぶだけ」と書いたシニャックは、包帯の下の耳を見ていなかった
では、なぜ「耳たぶだけ」という説が広まったのでしょうか。
その理由を見つけたのが、美術史家のバーナデット・マーフィー(Bernadette Murphy)です。マーフィーは南フランスに住んでいます。ゴッホについて広く信じられている話をいったん全部わきに置いて、一から調べ直していました。
シニャックは、入院中のゴッホを見舞った人です。手紙に「耳たぶを切った」「耳全部ではない」と書いていました。ところが、同じ手紙の中に、こんな一文もありました。ゴッホは「いつもの服を着て、頭に包帯を巻き、毛皮の帽子をかぶっていた」。
この一文から、マーフィーは気づきました。シニャックは、包帯の下の耳を見ていなかったのです。
次に、マーフィーはファン・ゴッホ美術館で手がかりをつかみました。そこで、1955年の手紙を見つけたのです。手紙には、レー医師が描いた傷の図が、作家ストーンの手元にあると書かれていました。ストーンの資料は、バンクロフト図書館にありました。マーフィーが図書館に問い合わせ、ケスラーが探し出したのが、この記事の初めに紹介したレー医師の手紙です。
ストーンは1934年、ゴッホの生涯をもとにした小説『炎の人ゴッホ』を書いた人です。小説の中でゴッホは「耳たぶのほんの一部だけを残した」と書かれています。ストーンは、この話をレー医師から聞いていました。そして小説の巻末で、レー医師にお礼を書いています。つまり、ゴッホが耳のほぼ全部を切ったことは、ベストセラー小説の中に、ずっと書かれていたことになります。
04耳を受け取ったのは、店で掃除などをしていた18歳の女性だった
マーフィーの調査は、切った耳の大きさを確かめただけでは終わりませんでした。
新聞は、耳を受け取った女性を「ラシェル」と書いていました。長いあいだ、彼女はその店で客の相手をする女性だと考えられてきました。けれどマーフィーがアルルの人口調査の記録を調べても、ラシェルという名前のそうした女性は見つかりませんでした。代わりに、別の新聞記事に「ギャビー」という名前が出てきたのです。
マーフィーがたどり着いたのは、ガブリエルという18歳の女性でした。客の相手をする女性として登録できる年齢より、3歳若かったのです。子孫の話では、彼女は狂犬にかまれたときの治療費を返すため、店で掃除などの仕事をしていたといいます。
深掘り講義
ここから先は、もう一段深く。しくみ・史料・論争まで踏み込みます。
証言の重みは、その人が傷を自分の目で見たかどうかで変わる
ゴッホの耳の話から、歴史を調べるときの基本が分かります。証言の重みは、その人が何を見たかで決まる、ということです。
耳全部と言ったのは、ゴーギャン、レー医師、警官ロベールでした。レー医師は実際に傷を手当てしました。ゴーギャンと警官ロベールも、アルルで事件に直接かかわった人です。一方、耳たぶ説のヨー、ガシェの息子、シニャックは、傷そのものを見ていたかどうかがはっきりしません。シニャックについては、包帯を巻いた姿しか見ていないことが、本人の手紙から分かります。
人数で比べれば、どちらも3人ずつです。けれど、直接見た人の証言と、伝え聞いた人の証言は、同じ重さではありません。
レー医師の手紙が、80年も見つからなかったわけ
レー医師の手紙は、医学の記録としてではなく、小説家への資料として書かれました。そのため、医学や美術史の資料庫ではなく、作家の個人資料の箱に入りました。さらに、その箱は目録にのっていませんでした。
古い記録(史料)は、書かれた目的によって、しまわれる場所が決まります。そのため、研究者が探す場所とは違う所に、ずっとしまわれたままになることもあります。マーフィーの場合は、美術館で見つけた1955年の手紙が、レー医師の手紙のありかを教えてくれました。
アルルの住民1万3,000人分の記録から、耳を受け取った女性や署名した人が分かった
マーフィーのやり方には、もう1つ特徴があります。ゴッホが暮らしたころのアルルの住民、1万3,000人分のデータベースを作ったのです。耳を受け取った女性の名前も、この地道な作業から見えてきました。
同じ方法で、別の通説も見直されました。1889年2月、近所の人たちが、ゴッホを病院に入れ、黄色い家から出すよう求める請願(署名をつけたお願いの文書)を出します。ゴッホは80人が署名したと思っていましたが、実際は30人でした。マーフィーは署名をたどり、30人のうち24人はアルルの住民ではなく、家の管理人の知り合いだったと結論しています。
ゴッホが耳を切った理由は、今も分かっていない
なぜゴッホは耳を切ったのか。これは今も分かっていません。書簡集の注によると、レー医師が理由を尋ねたとき、ゴッホは「まったく個人的なこと」と答えました。翌年5月の病院の記録には、ゴッホは発作のことをぼんやりとしか覚えていない、と書かれています。
ゴーギャンは1903年に書いた文章(本になったのは1923年)で、ゴッホがかみそりを手に向かってきたと書きました。けれど、事件から15年もたってから書かれたものなので、本当かどうか、たびたび疑われてきました。書簡集の注は、それでも事実にもとづく部分はあるだろう、とも書いています。事件の直後にゴーギャンから話を聞いた画家ベルナールの手紙には、襲われた話は出てきません。
書簡集の注には、もう1つの日付も記されています。事件の2日前の12月21日、弟テオは母親に、婚約の許しを求める手紙を書いていました。ただし、テオがいつゴッホに婚約を伝えたかは分かっていません。日付が近いからといって、テオの婚約が耳を切った原因だと決めつけることはできないのです。
記録を調べ直すと、医師や耳を受け取った女性など、ゴッホの周りの人のことも分かる
ゴッホは、「耳を切った狂気の天才」という物語とともに語られがちです。けれど、記録をたどると見えてくるのは、もっと具体的な人々の姿です。手当てをした医師、新聞を書いた記者、耳を手渡されて倒れた18歳の女性。記録を調べ直すと、ゴッホの周りにいた人たちのことも、1人ずつ分かってくるのです。
05まとめ
「ゴッホが切ったのは耳たぶだけ」という話は、傷そのものを見たとはいえない人たちの証言から広まりました。担当医レーが1930年に描いたスケッチでは、ゴッホは耳たぶをわずかに残して、耳のほぼ全部を切っていました。
そのスケッチは、作家ストーンの資料として、アメリカの大学図書館の目録にない箱に入っていました。しかも、ゴッホが耳のほぼ全部を切ったことは、ストーンの小説『炎の人ゴッホ』の中に、1934年からずっと書かれていたのです。
人に話すなら、こう言おう
ゴッホって耳たぶを切ったって聞くけど、実は耳ほぼ全部だったんだって。治療したお医者さんが1930年に描いたスケッチが、アメリカの大学図書館の箱から見つかって分かったらしいよ。
英語で読む
The Drawing in the Box
英文をタップすると、その文の訳が出ます。
In 2010, a library worker in California opened an old box.2010年、カリフォルニアの図書館の職員が、古い箱を開けました。 Inside, he found a letter from a French doctor, written in 1930.中に、1930年に書かれたフランスの医師の手紙が入っていました。 On the letter, there was a simple drawing of an ear.その手紙には、耳の簡単な絵が描かれていました。
The doctor was Félix Rey.その医師はフェリックス・レーでした。 In December 1888, he treated the painter Vincent van Gogh in the town of Arles.1888年12月、彼はアルルの町で画家フィンセント・ファン・ゴッホを手当てしました。 On the night of December 23, Van Gogh had cut his own left ear with a razor.12月23日の夜、ゴッホは自分の左耳をかみそりで切っていたのです。
For many years, people said he cut off only the lower part of his ear.長いあいだ、人々は彼が耳の下の部分だけを切ったと言っていました。 But the doctor's drawing showed a line across the base of the whole ear.でも、医師の絵には、耳全体の付け根を横切る線が描かれていました。 Van Gogh had cut off almost all of it.ゴッホは耳のほとんど全部を切っていたのです。
So why did the wrong story spread?では、なぜまちがった話が広まったのでしょうか。 The painter Paul Signac wrote that only the lower part was cut.画家のポール・シニャックは、下の部分だけが切られたと書きました。 But in the same letter, he said Van Gogh had a bandage around his head.でも同じ手紙の中で、ゴッホは頭に包帯を巻いていたと書いていました。 Signac never saw the ear without the bandage.シニャックは、包帯のない耳を一度も見ていなかったのです。
A researcher named Bernadette Murphy found the clue to the letter.バーナデット・マーフィーという研究者が、その手紙への手がかりを見つけました。 The doctor had sent the drawing to Irving Stone, who wrote a famous novel about Van Gogh in 1934.医師はその絵を、1934年にゴッホについての有名な小説を書いたアーヴィング・ストーンに送っていました。 In that novel, Stone wrote that Van Gogh left only a tiny piece of the lobe.その小説の中で、ストーンはゴッホが耳たぶのほんの小さな部分だけを残したと書いていました。 The answer was in a best-selling book all along.答えは、ずっとベストセラーの本の中にあったのです。
4択問題 Reading Quiz
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Q1What is this story mainly about?
この話は主に何についてのものですか。
正解:B How a doctor's drawing changed an old story
第1段落で医師の手紙と絵が見つかり、第3段落でそれが「耳たぶだけ」という話をくつがえしたと述べているので正解はB。Cの図書館は発見の場所にすぎない。
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Q2When did Van Gogh cut his ear?
ゴッホが耳を切ったのはいつですか。
正解:C On December 23, 1888
第2段落3文目に「On the night of December 23」とあり、2文目から1888年のことと分かるので正解はC。1930年は手紙、1934年は小説、2010年は発見の年。
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Q3Why was Signac wrong about the ear?
シニャックはなぜ耳についてまちがえたのですか。
正解:D He only saw Van Gogh with a bandage.
第4段落3〜4文目に、ゴッホは頭に包帯を巻いていて、シニャックは包帯のない耳を見ていなかったとあるので正解はD。A〜Cは本文に書かれていない。
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Q4In paragraph 5, the word "clue" is closest in meaning to ...
第5段落の clue という語に最も意味が近いのは…
正解:A a sign that helps you find an answer
マーフィーは手紙のありかへの「手がかり」を見つけたので、clue は「答えを見つける助けになるもの」。正解はA。Bの glue(のり)とつづりが似ているので注意。
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Q5Which is true about Irving Stone?
アーヴィング・ストーンについて正しいものはどれですか。
正解:C He wrote a novel about Van Gogh.
第5段落2文目に、1934年にゴッホについての有名な小説を書いたとあるので正解はC。医師はレー(A×)、箱を開けたのは図書館の職員(B×)、耳の絵を描いたのはレー(D×)。
重要語 Key Words(タップで裏返る)
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treat動詞手当てする、治療する
The doctor treated the boy's broken arm.
医者は少年の折れた腕を治療した。
💡 名詞は treatment(治療)。「おごる」の意味もある。
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razor名詞かみそり
My father shaves with a razor every morning.
父は毎朝かみそりでひげをそる。
💡 発音は「レイザー」。
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lobe名詞耳たぶ
She wears small earrings on her ear lobes.
彼女は耳たぶに小さなイヤリングをつけている。
💡 earlobe と1語でも書く。
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bandage名詞包帯
The nurse put a bandage on my knee.
看護師が私のひざに包帯を巻いた。
💡 日本語の「バンドエイド」は商品名。
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spread動詞広まる、広げる
The news spread quickly through the school.
そのニュースはあっという間に学校中に広まった。
💡 過去形・過去分詞も spread。
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clue名詞手がかり
The police found a clue near the door.
警察はドアの近くで手がかりを見つけた。
💡 have no clue で「さっぱり分からない」。
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novel名詞小説
I read a long novel during the summer.
私は夏休みに長い小説を読んだ。
💡 形容詞では「新しい、目新しい」の意味。
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all along副詞句最初からずっと
I knew the answer all along.
私は最初からずっと答えを知っていた。
💡 物語の「実は最初から〜だった」によく使う。
SOURCES出典・ウラ取り
この記事の事実は、次の資料を実際に開いて確認しています(確認した事実 19件)。
- Letter 728: Vincent van Gogh and Félix Rey to Theo van Gogh, 2 January 1889, 注1・注2(Vincent van Gogh: The Letters, ファン・ゴッホ美術館 / Huygens ING)vangoghletters.org
- Sharp eyes at the Bancroft, and a new focus on Van Gogh's ear(Berkeley News, カリフォルニア大学バークレー校, 2016)news.berkeley.edu
- What actually happened to Vincent van Gogh's ear? Here are 3 things you should know.(UC Berkeley Library, 2019)lib.berkeley.edu
- Self-Portrait with Bandaged Ear, 1889(コートールド美術館)courtauld.ac.uk
公式ページで見てみよう
- Vincent van Gogh: The Letters(ゴッホの全書簡と注)vangoghletters.org
文章はすべて資料をもとに独自の言葉で書いています。画像はオリジナルのイメージです。誤りにお気づきの方は訂正窓口へ。
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