「徳川家康は鯛の天ぷらで亡くなった」は、本当とは言えない
歴史のウソ・ホントNo.149

「徳川家康は鯛の天ぷらで亡くなった」は、本当とは言えない

鯛を食べたのは、亡くなる3か月前だった。

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この判定の対象「徳川家康は、鯛の天ぷらを食べて亡くなった」

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もくじ
  1. 鯛の話は、家康の死から200年以上あとにできた本の「附録」にある
  2. 記録に「天ぷら」という言葉はなく、「かやの油で揚げた鯛」とある
  3. 『徳川実紀』の本編には、鯛の話が出てこない
  4. 別の記録には、家康のお腹にしこりがあったと書かれている
  5. 深掘り講義
  6. まとめ
  7. 英語で読む(A2・4択5問)
  8. 出典・ウラ取り

1616年(元和2年)の1月21日(当時の暦)。75歳の徳川家康は、駿河の田中というところで、鷹狩りを楽しんでいました。

そこへ、京都の大商人、茶屋四郎次郎が訪ねてきます。家康は、近ごろ上方(京都や大阪)で何か珍しいことはないか、と尋ねました。

茶屋の答えはこうでした。いま京都や大阪では、鯛をかやの油で揚げ、上ににらをすりおろしてかけた料理がはやっている。自分も食べたが、とてもおいしかった、と。

ちょうどそのとき、家康のもとに鯛が届きました。家康は、早速同じように料理させて食べます。するとその夜から、お腹が痛くなりました。

ここまでが、「家康は鯛の天ぷらで死んだ」という話のもとになった記録です。ただし、記録を先まで読むと、家康はその夜に死んだわけではないと分かります。家康が亡くなったのは、鯛を食べてから約3か月後のことでした。

この記事では、まず鯛の話が、どんな本のどこに載っているかを見ます。次に、同じ日のことを書いたほかの記録と比べます。最後に、家康が亡くなるまでの約3か月に何があったかを紹介します。

01鯛の話は、家康の死から200年以上あとにできた本の「附録」にある

この話が載っているのは、『徳川実紀(とくがわじっき)』という本です。江戸幕府が作った、徳川将軍の公式の歴史書です。国立公文書館によると、完成したのは1843年。家康が亡くなってから、200年以上あとのことです。

『徳川実紀』は、2つの部分に分かれています。1つは「本編」。将軍のしたことを、年月の順に書いた部分です。もう1つは「附録」。将軍の逸話(ちょっとしたエピソード)を集めた部分です。

鯛の話は、この附録のほうに載っています。国立公文書館の説明では、本編と附録は、どんな内容をのせるかを分けて作られています。

実は『徳川実紀』の作り手自身も、注意書きを残しています。家康の言ったことやしたことは、いろいろな本に載っているが、本当とうそがまじっている。だから確かな歴史の記録と比べて、疑わしい話は外した、というのです。附録は、そうして選びぬいた逸話を集めた部分でした。

02記録に「天ぷら」という言葉はなく、「かやの油で揚げた鯛」とある

記録をよく読むと、もう1つ気づくことがあります。「天ぷら」という言葉が、どこにも出てこないのです。

書かれているのは「鯛をかやの油にてあげ、そが上ににらをすりかけし」という料理です。かやは、木の実から油がとれる木です。つまり、かやの油で揚げた鯛に、すりおろしたにらをのせたもの。これを、のちの人が「鯛の天ぷら」と呼ぶようになりました。

調理科学の研究者、浜田滋子さんの解説によると、揚げ物は日本では比較的新しい料理法でした。家康の死から56年たって、ようやく料理の本に「てんぷらり」という名前が出てきます。それも、魚に小麦粉をまぶして揚げた、今の「から揚げ」に近いものだったようです。

記録にあるのは「かやの油で揚げた鯛に、すったにらをかけたもの」
記録にあるのは「かやの油で揚げた鯛に、すったにらをかけたもの」

03『徳川実紀』の本編には、鯛の話が出てこない

では、『徳川実紀』の本編は、1月21日のことをどう書いているのでしょうか。

本編は、『国師日記』などの、当時の日記をもとにして書かれています。それによると、1月21日、家康は田中で鷹狩りをしました。息子の頼宣と頼房も一緒でした。その田中で、家康は急に具合が悪くなります。

知らせを江戸に届けるため、落合小平治という家来が馬で走りました。45里(約180km)を、まる1日ほどで走りきり、褒美をもらいました。22日には、駿府にいた人たちがみんな田中へ駆けつけました。そして24日、家康は少しよくなり、駿府城へ戻りました。

本編の1月21日からの記事には、鯛の話は出てきません。家康の体調が急に悪くなったことは、本編のもとになった日記にも書かれています。でも「鯛を食べたから」という部分は、附録の逸話にしか出てこないのです。

04別の記録には、家康のお腹にしこりがあったと書かれている

家康の病気については、別の記録もあります。幕府が1812年にまとめた『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』です。大名や旗本(将軍に直接仕えた武士)の家の歴史を集めた本で、家康の主治医だった片山宗哲(かたやま・そうてつ)の家の項目に、詳しい話が載っています。

それによると、田中に出かけたその夜、家康は痰(たん)が胸につまって、とても危ない状態になりました。宗哲が薬を出すと、よくなりました。ここでは、お腹の痛みではなく、胸の苦しさとして書かれています。

その後、家康のお腹にはしこり(さわると分かる、かたいかたまり)がありました。家康は自分で「これは寸白(すばく。お腹の虫)だ」と決め、「万病円」という強い薬を飲み続けます。宗哲は「強い薬で攻めても、しこりは取れません。かえって体の力が弱ります」と、やめるように注意しました。でも家康は聞き入れず、日に日にやつれていきました。

宗哲は、将軍の秀忠に命じられて、もう一度やめるように言いました。すると家康は怒って、宗哲を信濃国(今の長野県)の高島へ流してしまいます。

そして4月17日の午前10時ごろ、家康は駿府城で亡くなりました。75歳でした。

LECTURE

深掘り講義

ここから先は、もう一段深く。しくみ・史料・論争まで踏み込みます。

1616年1月21日の夜のことは、記録によって3通りに書かれている

1616年1月21日の夜について、この記事では3つの記録を見ました。並べてみましょう。

  • 『徳川実紀』本編:田中で急に具合が悪くなった。出典として『国師日記』などの日記をあげる。
  • 『徳川実紀』附録:揚げた鯛を食べ、その夜から腹が痛んだ。
  • 『寛政重修諸家譜』:その夜、痰が胸につまって危なかった。

歴史学では、出来事と同じ時代に書かれた記録を一次史料と呼びます。あとの時代にまとめられた記録は、二次史料と呼びます。普通は、一次史料のほうを重く見ます。

『徳川実紀』そのものは、1843年にまとまった二次史料です。ただ、本編の1月21日の記事は、当時の日記を出典にしています。そして、家康の具合が急に悪くなったことは、3つの記録のどれにも書かれています。

一方、「鯛を食べたから」という説明は、附録の逸話にしか出てきません。附録のほうは、鯛の話をふくむひとまとまりの記事の最後に、もとにした本として『駿河土産』などの名前をあげています。

「鯛を食べて死んだ」は、短くて人に話したくなる形の話

人は、出来事に分かりやすい原因をつけたがります。「天下を取った家康が、はやりの料理を食べて倒れた」という話は、短くて、意外で、人に話したくなる形をしています。

ただ、記録を見ると、話の順番は「鯛を食べた→死んだ」ではありません。「鯛を食べた→その夜に具合が悪くなった→いったんよくなった→お腹のしこり→やつれた→約3か月後に死んだ」です。「天ぷらで死んだ」という言い方は、「鯛を食べた」と「死んだ」のあいだにあった出来事を、すっぽりぬいてしまっています。

医師で作家の篠田達明は、家康の死因を胃がんと見ている

『寛政重修諸家譜』には、お腹のしこり、強い薬を飲み続けたこと、日に日にやつれていったことが書かれています。医師で作家の篠田達明は、2005年の本『徳川将軍家十五代のカルテ』で、家康の死因を「胃がん」とする見方を示しています。ただし、この記事で確かめられたのは、出版社の紹介ページの目次にこの結論が書かれていることだけです。もちろん、400年前の記録から病名を決めることはできません。ただ、『寛政重修諸家譜』に書かれた様子は、食あたりよりも、ゆっくり進む病気によく合います。

家康は自分で病名を決め、主治医より自分の判断を信じた

もう1つ見のがせないのは、家康が自分で病名を決め、自分で薬を選んだことです。『寛政重修諸家譜』によると、家康は自分だけの秘密の薬の作り方(処方)を持っていて、それを宗哲に教えたこともありました。宗哲は幕府の命令で、万病円などの薬を作ってさしだす役目もしていました。薬に詳しい家康は、主治医の言うことより、自分の判断を信じたのです。最後に主治医を遠くへ流してしまったことは、名君(すぐれた殿様)として知られる家康の、あまり知られていない一面です。

05まとめ

家康が「かやの油で揚げた鯛に、すったにらをかけたもの」を食べ、その夜に具合が悪くなった。この話は、1843年に完成した『徳川実紀』の附録に載っています。でも、家康が亡くなったのは、それから約3か月後の4月17日でした。

別の記録には、お腹のしこりと、強い薬を飲み続けてやつれていく家康の姿が残っています。そして記録のどこにも、「天ぷら」という言葉は出てきません。

人に話すなら、こう言おう

家康って鯛の天ぷらで死んだって言うでしょ。でも鯛を食べたのは亡くなる3か月くらい前なんだって。しかも記録には「天ぷら」って言葉もなくて、「かやの油で揚げた鯛」って書いてあるらしいよ。
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英語で読む

Did Fried Fish Kill Ieyasu?

CEFR A2216 words4択 5問全訳つき
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英文をタップすると、その文の訳が出ます。

On January 21, 1616, Tokugawa Ieyasu was hunting with his birds.1616年1月21日、徳川家康は鷹を使って狩りをしていました。 He was 75 years old.家康は75歳でした。 A rich merchant from Kyoto visited him and talked about a new dish.京都の金持ちの商人が家康をたずね、新しい料理の話をしました。 People in Kyoto were frying sea bream in oil and putting grated garlic chives on top.京都の人々は、鯛を油で揚げて、すりおろしたにらを上にのせていたのです。

Ieyasu had some sea bream, so he asked his cooks to make the dish.家康の手元にはちょうど鯛があったので、料理人にその料理を作らせました。 That night, he got a stomachache.その夜、家康はおなかが痛くなりました。 Many people say that this "tempura" killed him.多くの人が、この「天ぷら」が家康を死なせたと言います。

But the story comes from a history book that was finished in 1843, more than 200 years later.でもこの話は、200年以上あとの1843年に完成した歴史書から来ています。 It is in a part of the book for short stories about the shogun.それは、その本の中の、将軍についての短い話を集めた部分にあります。 The old record does not even use the word "tempura."その古い記録には「天ぷら」という言葉さえ使われていません。 And Ieyasu did not die that night.そして家康は、その夜に死んだわけではありませんでした。 He felt better and went home three days later.家康は回復し、3日後に家に帰りました。

Another record says that Ieyasu had a lump in his stomach.別の記録には、家康のおなかにしこりがあったと書かれています。 He decided by himself that it was a worm, and he kept taking strong medicine.家康はそれを虫だと自分で決めつけ、強い薬を飲みつづけました。 His doctor told him to stop, but Ieyasu got angry and sent the doctor away.医者はやめるように言いましたが、家康はおこって医者を遠くへ追いやりました。 Ieyasu grew thinner and weaker.家康はだんだんやせて弱っていきました。

He died on April 17, about three months after he ate the fish.家康は4月17日、鯛を食べてから約3か月後に亡くなりました。 One doctor and writer has written that the real cause was stomach cancer.医師で作家のある人は、本当の原因は胃がんだったと本に書いています。 So the fried fish may be only a small part of the story.だから、揚げた鯛は話のほんの一部にすぎないのかもしれません。

4択問題 Reading Quiz

  1. Q1What is this story mainly about?

    この話は主に何についてのものですか。

  2. Q2When did Ieyasu die?

    家康はいつ亡くなりましたか。

  3. Q3Why did Ieyasu send his doctor away?

    家康はなぜ医者を遠くへ追いやったのですか。

  4. Q4In paragraph 4, the word "lump" is closest in meaning to ...

    第4段落の "lump" に最も意味が近いのは…

  5. Q5Which is true about the old record of the fish?

    鯛についての古い記録について正しいのはどれですか。

重要語 Key Words(タップで裏返る)

  • merchant名詞
    商人

    The merchant sold silk and tea.

    その商人は絹とお茶を売った。

    💡 market(市場)と同じ語源。

  • sea bream名詞
    鯛(タイ)

    Sea bream is a popular fish in Japan.

    鯛は日本で人気のある魚だ。

    💡 red sea bream で「マダイ」。複数形も sea bream のまま。

  • fry動詞
    (油で)揚げる、いためる

    My father fried some eggs for breakfast.

    父は朝食に卵を焼いてくれた。

    💡 deep-fry で「たっぷりの油で揚げる」。fry-fried-fried。

  • grate動詞
    すりおろす

    Please grate some cheese for the pasta.

    パスタ用にチーズをすりおろしてください。

    💡 grated ginger は「おろししょうが」。great(すばらしい)と発音が同じ。

  • stomachache名詞
    腹痛

    I had a stomachache after lunch.

    昼食のあと、おなかが痛くなった。

    💡 stomach(胃、おなか)+ ache(痛み)。headache は「頭痛」。

  • lump名詞
    しこり、かたまり

    There was a lump of sugar in my tea.

    私の紅茶に角砂糖が1つ入っていた。

    💡 a lump of sugar で「角砂糖1個」。

  • medicine名詞
    薬

    Take this medicine after each meal.

    この薬を毎食後に飲みなさい。

    💡 「薬を飲む」は drink ではなく take medicine。

  • cancer名詞
    がん

    Doctors are looking for new ways to treat cancer.

    医師たちはがんを治す新しい方法を探している。

    💡 stomach cancer で「胃がん」。

SOURCES出典・ウラ取り

この記事の事実は、次の資料を実際に開いて確認しています(確認した事実 10件)。

  1. 御実紀(東照宮御実紀)(国立公文書館「歴史と物語」)archives.go.jp
  2. 成島司直ほか編『徳川実紀 第壹編』(経済雑誌社, 1904)国立国会図書館デジタルコレクションdl.ndl.go.jp
  3. 『寛政重脩諸家譜 第2輯』(國民圖書, 1923)巻313 片山 国立国会図書館デジタルコレクションdl.ndl.go.jp
  4. 寛政重修諸家譜(国立公文書館「歴史と物語」)archives.go.jp
  5. 浜田滋子 (1994) 教材研究 揚げもの, 調理科学 27(4)doi.org
  6. 篠田達明『徳川将軍家十五代のカルテ』(新潮新書, 2005)書籍紹介(新潮社)shinchosha.co.jp

文章はすべて資料をもとに独自の言葉で書いています。画像はオリジナルのイメージです。誤りにお気づきの方は訂正窓口へ。

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