
馬で手紙を運んだ「ポニー・エクスプレス」は、たった1年半で終わった
最後の数か月、馬は電信とリレーしてニュースを運んだ
この判定の対象「ポニー・エクスプレスは、1年半ほどしか続かなかった」
もくじ
1860年4月3日の夜、アメリカ中部のミズーリ州セントジョセフという町に、人だかりができていました。東部から手紙を運んでくる列車が、予定より2時間ほど遅れてやっと着いたのです。手紙の袋には、手紙49通と電報5通、それに新聞などが入っていました。
町長たちのあいさつが終わった午後7時15分ごろ、袋は1人の乗り手に手わたされました。行き先は、約3000km先のカリフォルニア州です。これが、馬で手紙を運ぶ「ポニー・エクスプレス」の最初の一走りでした。
西部劇でおなじみのポニー・エクスプレスは、アメリカの西部の象徴のように語られます。ところが、実際に続いたのは、1861年10月までの約1年半だけでした。終わらせたのは電信です。電信とは、電線を使って文字を遠くへ送るしくみです。最後の数か月、急ぎのニュースは、電信と馬がリレーをして運んでいました。
01手紙1通の料金が、ふつうの郵便の50倍以上だった時期がある
当時、鉄道と電信が西へ届いていたのは、ミズーリ州のセントジョセフまででした。その先のカリフォルニア州までは、2000マイル近い道のりです。1マイルは約1.6kmなので、約3000kmになります。
アメリカ合衆国郵便公社の歴史担当によると、しくみはリレーでした。乗り手は、10〜15マイル(約16〜24km)ごとにある中継所で、元気な馬に乗りかえます。乗り手1人が1日に走るのは、平均で75〜100マイル(約120〜160km)でした。最初の便は、セントジョセフからカリフォルニア州のサクラメントまで10日かかりました。いちばん速かったのは1861年3月です。リンカーン大統領の就任演説を、7日と17時間で運びました。
速いぶん、料金はとても高いものでした。郵便公社の資料によると、会社は手紙の重さ半オンス(約14g)につき、最高で5ドルを取っていました。同じころ、国のふつうの郵便の料金は10セント以下です。1ドルは100セントなので、ポニー・エクスプレスの料金は、ふつうの郵便の50倍以上だったことになります。
それでも、会社は、運ぶのにかかるお金を料金だけではまかなえませんでした。郵便公社の資料は、1861年7月の時点で、会社が大きな借金をかかえていたと書いています。
02「孤児歓迎」の有名な求人広告は、どの新聞に載ったのか国の報告書にも書かれていない
ポニー・エクスプレスの話によく出てくる、こんな求人広告があります。「若くてやせた、18歳以下の者を求む。乗馬の名人で、毎日死ぬ危険をおかせること。孤児歓迎」。
1994年にアメリカ国立公園局がまとめた報告書も、この広告にふれています。けれど、どの新聞の何月何日に載ったのかは書いていません。報告書は続けて、実際の乗り手は「たぶんいろいろな年齢の人だった」と書いています。乗り手の名簿もいくつか残っていますが、どれも完全に正しいとは言えないそうです。
一方、国立公園局のウェブサイトは、出どころがはっきりした広告を紹介しています。1860年3月19日の新聞「サクラメント・ユニオン」に載ったものです。馬の扱いに慣れた男性を10人か12人ほど、馬の世話係か乗り手として雇う、という内容でした。給料は月50ドルで、食事と寝る所つきです。「孤児」も「18歳以下」も出てきません。
報告書によると、会社の共同経営者アレクサンダー・メジャーズ(Alexander Majors)は、のちにこう書いています。200人あまりを雇い、そのうち80人を乗り手に選んだ。馬のために、体の軽い人ほどよかった。また郵便公社の資料によると、乗り手は雇われる前に、聖書にかけて誓いを立てました。悪い言葉を使わない、けんかをしない、馬をいじめない、正直にふるまう、という誓いです。
03会社は赤字で、中心の経営者は国が預かっていた債券を借りた罪で逮捕された
ポニー・エクスプレスを始めたのは、3人が経営する運送会社です。中心はウィリアム・ラッセル(William H. Russell)でした。国立公園局の報告書によると、この会社は1857〜1858年の冬から、すでにお金の行きづまった状態でした。軍の荷物を運ぶ仕事で、大きな損をしていたのです。
1860年5月7日には、今のネバダ州のあたりで、金や銀を探しに来た人々と先住民との争い(ピラミッド湖戦争)が始まりました。中継所がいくつも壊され、一部の区間では運ぶのを一時止めました。報告書によると、この争いで会社が余分に使ったお金は、7万5000ドルをこえました。中継所の建て直しや、見張りを雇うお金などです。
報告書は、会社の側の問題も書いています。中継所の土地を、先住民から話し合いで買った記録はありません。砂漠では、先住民にとって大切な水場に中継所を作っていました。
お金に困ったラッセルは、ゴダード・ベイリー(Godard Bailey)という人から債券を借りました。債券とは、お金を貸したしるしの証書で、売ればお金になります。ベイリーは、国が先住民のために預かっていた基金の債券を、管理する役目でした。持ち主ではないので、貸す権利はありませんでした。最初、ラッセルはそのことを知りませんでした。けれど知ったあとも、2回目、3回目と借り続けました。借りた債券は、3回で合わせて87万ドル分になりました。
ベイリーが罪を打ち明けたため、ラッセルは1860年のクリスマスイブに、ニューヨークで逮捕されました。保釈金(払えば裁判まで外に出られるお金)は、50万ドルとされました。ラッセルは起訴されましたが、1861年3月に、法律の手続き上の問題で自由の身になりました。債券は1枚も戻らず、議会が基金に約76万ドルを返すことになりました。ラッセルは1861年4月、会社の社長をやめています。
04ポニー・エクスプレスが走るのは「電信が完成するまで」と、1861年の法律で決められた
1860年6月16日、アメリカの議会は、大陸を横断する電信の線を引く工事に、国のお金を出すと決めました。ポニー・エクスプレスが走り始めて、10週間ほどあとのことです。東西から電信の線がのびれば、急ぎの知らせを馬で運ぶ意味は小さくなります。
国立公園局の報告書によると、1861年3月2日、議会は郵便の契約を作り直しました。その中で、別の郵便会社に、ポニー・エクスプレスを走らせることを求めました。週2回、10日の予定で走り、料金は半オンスにつき1ドルまで。そして走らせるのは「大陸横断の電信の線が完成するまで」と書かれていました。ポニー・エクスプレスがいつ終わるかは、このとき法律の文に書きこまれたのです。

05最後の数か月、ニュースは電信と馬のリレーで運ばれた
国立公園局によると、電信の工事が進むあいだも、ポニー・エクスプレスはいつもどおり走りました。手紙や新聞は、セントジョセフからサクラメントまで全部の道を馬が運びました。一方、電報は、東西からのびてくる電信の線のはしとはしのあいだだけを、馬が運びました。
報告書によると、西側の電信会社は、1日に5マイル(約8km)ずつ線を引く計画でした。電信の線は、だいたいポニー・エクスプレスの道にそって引かれました。そのため、電信が50マイル(約80km)のびるたびに、東部と西部のあいだでニュースが届くまでの時間は、5時間ずつ縮みました。
1861年9月18日のサンフランシスコの新聞には、東部のニュースを西へ送る順番が載っています。まずセントジョセフから電信で西へ送ります。電信の線が切れた所からは馬が運びます。次に電信の線がある所からは、また電信で送ります。そしてまた馬に乗りかえる、という順番です。
報告書は、電信がのびても利用が減らなかったことも紹介しています。サンフランシスコの新聞の記録では、1861年の3月から10月にかけて、届いた手紙や新聞の数はむしろ増えていました。
それでも、1861年10月26日、サンフランシスコとニューヨークが電信で直接つながりました。国立公園局によると、ポニー・エクスプレスは、この日に正式に終わりました。最後の手紙が道のりを運ばれ終えたのは、11月になってからです。
深掘り講義
ここから先は、もう一段深く。しくみ・史料・論争まで踏み込みます。
ポニー・エクスプレスを大げさに語る文章は、走っていた当時からあった
国立公園局の1994年の報告書は、最初の「はじめに」の部分に「ポニー・エクスプレスの伝説と事実」という題をつけています。報告書によると、ポニー・エクスプレスの話は、もとになる当時の記録が少ないまま、何度も書き直されてきました。書き手が前の世代の本を言いかえ、映画やテレビが英雄の物語にしました。ポニー・エクスプレスを主役にした最初の映画は、1925年のものだそうです。
話を大げさにする文章は、走っていた当時からありました。報告書は、1860年8月のカンザスシティーの新聞の文を紹介しています。乗り手が、嵐の夜も、増水した川の中も、待ちぶせの中も止まらずに駆けぬける、という勇ましい文です。マーク・トウェインも旅行記に、手紙は「1900マイルを8日」で運ばれたと書きました。会社が決めていた予定は10日です。
歴史の研究では、昔のことを調べる手がかりになる記録を「史料」と呼びます。史料を読むときは、だれが、いつ、何のために書いたのかを考えます。新聞の文は、読者を引きつけるために書かれたかもしれません。思い出話は、何十年もたってから書かれたかもしれません。
料金や給料の数字が、資料によって違う
ポニー・エクスプレスについては、数字の記録も資料ごとにばらばらです。たとえば手紙の料金です。郵便公社の資料は「半オンスにつき最高5ドル」と書いています。一方、国立公園局の報告書は、経営者メジャーズの思い出話をもとに「1オンスにつき5ドル」と書いています。同じ5ドルでも、送れる重さが2倍違うことになります。
乗り手の給料も同じです。1860年の新聞広告は「月50ドル」でした。報告書によると、メジャーズの思い出話では月120〜125ドルです。別の歴史家の本は、月50〜150ドルとしています。どの数字が本当かは、残っている資料だけでは決められません。この記事では、料金は郵便公社の資料の数字を使いました。
赤字でも馬を走らせ続けた理由
ポニー・エクスプレスは、最初から赤字でした。報告書によると、始まった月から、利用者の数では費用をまかなえていませんでした。カリフォルニアの人々は、会社の本当のねらいは国の郵便の契約だと考えていたそうです。
当時、国の郵便をいちばん多く運んでいたのは、南の遠回りの道を通る別の会社の馬車でした。郵便公社の資料によると、まん中を通る道は、冬の天気がきびしく、1年中は通れないと多くの人が考えていました。ラッセルは、そうではないことを示すために、自分でポニー・エクスプレスを始めました。報告書によると、ラッセルたちは、それで議会を説得して、大きな郵便の契約を取りたいと考えていました。
1861年3月、国の大きな郵便の路線は、本当に南の道からまん中の道へ移されました。南部の州がアメリカから離れ始め、南の道が使えなくなったためです。けれど、その契約を受けたのは、南の道を走っていた別の会社でした。ポニー・エクスプレスは「電信が完成するまで」という条件つきで、その契約の中に入れられました。
電信がつながると、急ぎの知らせを送る料金は3分の1ほどになった
電信がつながると、サンフランシスコの商人たちは、すぐに電信の局へ集まりました。報告書によると、ポニー・エクスプレスで急ぎの知らせを送るには、150ドル以上かかっていました。電信なら、およそ50ドルで東部と連絡できました。
ただ、できたばかりの電信の線は、いろいろな問題があって、たびたび遅れました。サンフランシスコの新聞は、1862年1月になっても、ポニー・エクスプレスをもう一度始めるべきだと書いています。けれど、復活することはありませんでした。
06まとめ
馬で手紙を運んだポニー・エクスプレスが続いたのは、1860年4月3日から1861年10月26日までの約1年半でした。手紙の料金は、ふつうの郵便の50倍以上だった時期があり、会社はそれでも赤字でした。1861年3月の法律には、「大陸横断の電信の線が完成するまで」走ると書かれていました。
最後の数か月、電報は、のびてくる電信の線と線のすき間だけを馬が運びました。電信が50マイル(約80km)のびるたびに、東部のニュースが西に届くまでの時間は、5時間ずつ短くなっていったのです。
人に話すなら、こう言おう
西部劇に出てくる、馬で手紙を運ぶポニー・エクスプレスって、たった1年半しか続かなかったんだって。最後のほうは、電信と馬がリレーしてニュースを運んでたらしいよ。
英語で読む
The Short Life of the Pony Express
英文をタップすると、その文の訳が出ます。
On the night of April 3, 1860, a crowd waited in a town called St. Joseph, Missouri.1860年4月3日の夜、ミズーリ州のセントジョセフという町で、人々が集まって待っていました。 A rider took a bag of letters and rode west.1人の乗り手が手紙の袋を受け取り、西へ走り出しました。 This was the first run of the Pony Express.これが、ポニー・エクスプレスの最初の一走りでした。
Riders carried letters about 3000 kilometers to California.乗り手たちは、手紙を約3000km先のカリフォルニアまで運びました。 They changed horses every 16 to 24 kilometers at small stations.彼らは16〜24kmごとに、小さな中継所で馬を乗りかえました。 The first mail took 10 days.最初の便は10日かかりました。 But it was very expensive.でも、料金はとても高いものでした。 A small letter could cost up to 5 dollars, more than 50 times the price of normal mail.小さな手紙1通が最高で5ドルもかかり、ふつうの郵便の50倍以上の料金でした。
At the same time, workers were building a telegraph line across the country.同じころ、作業員たちが、国を横断する電信の線を作っていました。 A telegraph sends messages through wires, so it is much faster than a horse.電信は電線を通して知らせを送るので、馬よりずっと速いのです。 In 1861, a new law said the Pony Express would run only until the telegraph line was finished.1861年、新しい法律が、ポニー・エクスプレスは電信の線が完成するまでだけ走ると決めました。
In its last months, the riders carried telegraph messages only between the ends of the wires.最後の数か月、乗り手たちは、電線のはしとはしのあいだだけ電報を運びました。 Every time the wire grew 80 kilometers, the news arrived about 5 hours sooner.電線が80kmのびるたびに、ニュースは約5時間早く届くようになりました。 On October 26, 1861, San Francisco and New York were finally connected by telegraph.1861年10月26日、サンフランシスコとニューヨークが、ついに電信でつながりました。 The Pony Express ended that day.ポニー・エクスプレスは、その日に終わりました。
It lasted only about a year and a half.続いたのは、たった1年半ほどでした。 The company also lost money and was in deep debt.会社はお金も失い、大きな借金をかかえていました。 Still, people today remember the brave riders from many western movies.それでも今の人々は、たくさんの西部劇を通して、勇かんな乗り手たちを覚えています。 But the real story is shorter and stranger than the legend.でも本当の話は、伝説より短くて、もっと不思議なのです。
4択問題 Reading Quiz
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Q1What is this story mainly about?
この話は主に何についてのものですか。
正解:B Why the Pony Express ended so soon
第1段落で始まり、第3〜4段落で電信の完成によって終わったこと、第5段落で1年半ほどしか続かなかったことを述べているので、正解はB。Dの映画は最後に少し出てくるだけで、話の中心ではない。
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Q2How long did the first mail take?
最初の便には、どれくらいかかりましたか。
正解:C 10 days
第2段落3文目に "The first mail took 10 days." とあるので、正解はC。ほかの日数は本文に出てこない。
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Q3Why did the Pony Express end?
ポニー・エクスプレスは、なぜ終わったのですか。
正解:D The telegraph line across the country was finished.
第3段落3文目で、法律が「電信の線が完成するまでだけ走る」と決めたこと、第4段落で1861年10月26日に電信がつながり、その日に終わったことが書かれているので、正解はD。A〜Cは本文に書かれていない。
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Q4In paragraph 4, the word "connected" is closest in meaning to
第4段落の connected という語にいちばん近い意味はどれですか。
正解:A joined
第4段落3文目は、サンフランシスコとニューヨークが電信で connected されたという文で、2つの町が電信で「つながった」という意味なので、正解はA。Bの closed は逆に近い意味になる。
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Q5Which is true about the Pony Express?
ポニー・エクスプレスについて、正しいものはどれですか。
正解:C Riders changed horses at small stations.
第2段落2文目に、乗り手は小さな中継所で馬を乗りかえたとあるので、正解はC。第5段落で会社は借金をかかえていたとあるのでAは誤り。Bは第2段落、Dは第5段落の内容と合わない。
重要語 Key Words(タップで裏返る)
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rider名詞乗り手、(馬などに)乗る人
The rider stopped to give water to his horse.
乗り手は、馬に水をやるために止まった。
💡 ride(乗る)+ -er(〜する人)。bike rider(自転車に乗る人)のようにも使う。
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expensive形容詞(値段が)高い
This bag is too expensive for me.
このかばんは、私には高すぎる。
💡 反対は cheap(安い)。「値段が高い」に high は使わず expensive を使う。
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telegraph名詞電信
In the past, people sent short messages by telegraph.
昔、人々は電信で短い知らせを送った。
💡 tele(遠く)+ graph(書く)。telephone(電話)、television(テレビ)も tele- の仲間。
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wire名詞電線、針金
A bird is sitting on the wire.
1羽の鳥が電線にとまっている。
💡 wireless は「線のない」で、無線のこと。
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law名詞法律
The new law starts next month.
新しい法律は来月から始まる。
💡 lawyer(弁護士)は law + -yer。break the law で「法律を破る」。
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connect動詞つなぐ、つながる
This bridge connects the two towns.
この橋は2つの町をつないでいる。
💡 名詞は connection(つながり)。connect A to B で「AをBにつなぐ」。
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debt名詞借金
He worked hard to pay his debt.
彼は借金を返すために一生けんめい働いた。
💡 b は発音しない(デット)。be in debt で「借金をかかえている」。
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legend名詞伝説
There is an old legend about this lake.
この湖には、古い伝説がある。
💡 形容詞は legendary(伝説的な)。
SOURCES出典・ウラ取り
この記事の事実は、次の資料を実際に開いて確認しています(確認した事実 40件)。
- The Pony Express(アメリカ合衆国郵便公社 歴史担当、2008年)about.usps.com
- History & Culture - Pony Express National Historic Trail(アメリカ国立公園局)nps.gov
- Godfrey, A. (1994) Historic Resource Study: Pony Express National Historic Trail(アメリカ国立公園局の報告書)archive.org
- Twain, M. (1872) Roughing It, Chapter VIII(プロジェクト・グーテンベルク)gutenberg.org
公式ページで見てみよう
文章はすべて資料をもとに独自の言葉で書いています。画像はオリジナルのイメージです。誤りにお気づきの方は訂正窓口へ。
NEXT TRIVIAこの雑学にうなった人は、これにもうなる
No.016ウソFALSEナポレオンの身長は約169cmで、当時のフランス人の平均より高かった
「背の低いナポレオン」は、イギリス発のイメージ。
No.017ウソFALSE「パンがなければお菓子を」は、マリー・アントワネットの言葉ではなかった
いちばん古い記録は、ルソーの自伝にある。
No.018グレーGRAYガリレオがピサの斜塔で球を落とした実験は、本当にあったのか
斜塔の実験は、約60年後の記録にしか出てこない。
No.011ウソFALSE「寝ている間にクモを年8匹食べる」はウソで、その種明かし話もウソだった
クモ8匹説は、種明かしの話までウソだった。
No.282ゾウは、4本の足が同時に地面から離れないのに、時速25kmまで出せる
ゾウは時速25kmでも、4本の足が同時には浮かない。
No.236カモノハシの毛は紫外線で青緑に光るが、何の役に立つのかは分かっていない
茶色いカモノハシの毛が、紫外線で青緑に光った。