
地獄谷のニホンザルは、冬に温泉に入った週はストレスのホルモンが低かった
地獄谷で温泉に入る習慣があったメスは、3頭に1頭だった。
もくじ
1963年の、ある雪の日のことです。長野県の地獄谷の近くにある旅館「後楽館」の露天風呂に、メスの子ザルが入っていくのが目撃されました。京都大学の発表によると、ニホンザルが温泉に入るのが観察されたのは、これが初めてでした。
その後、温泉に入る行動は、ほかのサルにも広がりました。人の温泉にサルが入るのは衛生上よくないので、やがて地獄谷野猿公苑(じごくだにやえんこうえん)の中に、サル専用の温泉が作られました。雪の中で湯につかるサルは、海外では「スノーモンキー」と呼ばれ、よく知られています。
では、温泉はサルにとって、本当に役に立っているのでしょうか。2018年、京都大学のチームは、温泉に入るサルの行動とふんを調べました。すると、冬に温泉に入った週は、入らなかった週よりも、ストレスで増えるホルモンの量が少なかったのです。
この記事では、まず地獄谷のサルの温泉入浴が、どう始まり、どう広がったかを紹介します。次に、2018年の研究の中身を説明します。最後に、温泉は群れの全員が平等に使えるわけではない、という話と、まだ分かっていない点を見ていきます。
01地獄谷のサルの温泉入浴は、1963年に1匹の子ザルから始まった
地獄谷野猿公苑は、長野県の北部、横湯川(よこゆがわ)の谷にあります。標高は850mです。冬は1mを超える雪に覆われ、一番寒いときは−10℃を下回ります。
ニホンザルは、人を除くサルの仲間の中で、世界で一番北に住んでいます。厚い冬の毛で、寒さに耐えていると考えられています。
公苑が開いたのは、温泉に入るサルが初めて目撃された翌年の1964年です。ここでは、サルを近くで観察できるように、餌づけをしてきました。公苑の説明によると、餌づけでサルが同じ場所で過ごす時間が長くなるうちに、子ザルがすぐ近くの旅館「後楽館」の露天風呂に入ることを覚えました。そして、仲間の子ザルやほかのサルも、つられて温泉に入るようになったそうです。
1970年には、温泉に入るサルの写真が、アメリカの雑誌『ライフ』の表紙に載りました。公苑と京都大学は、温泉に入るニホンザルが見られるのは、この地域だけだと説明しています。
02温泉に入るのは、群れのメスの3頭に1頭くらいだった
テレビや写真を見ると、地獄谷のサルはみんな温泉に入っているように見えます。でも、実際は違います。
2007年、京都大学霊長類研究所などの研究チーム(最初に名前が載っている著者は Peng Zhang)は、地獄谷の群れの記録をまとめました。1980年から2003年までに、この群れにいたメスは合わせて114頭です。そのうち、習慣的に温泉に入っていたのは31%でした。およそ3頭に1頭です。
入り方には、はっきりした傾向がありました。
- 気温が低いほど、温泉に入るサルが多い。夏より冬のほうが多い。
- 大人のメスと子どもはよく入るが、大人のオスや、大人になる少し前の若いサルは、あまり入らない。
- 順位の高い家系のサルほど、温泉に入る習慣が広まっていた。
- 母親が温泉に入るサルの子どもは、そうでない子どもより、温泉に入りやすかった。
最後の点は、温泉に入る行動が、母親から子どもへと受け継がれている可能性を示しています。
032018年の研究:冬に温泉に入った週は、ストレスのホルモンが低かった
サルが冬によく温泉に入るので、「体を温めるためだろう」と昔から考えられてきました。でも、それを体の中のデータで確かめた研究は、ありませんでした。
そこで、京都大学霊長類研究所のラファエラ・タケシタ(Rafaela Takeshita)研究員らが、地獄谷の大人のメス12頭を調べました。調べた季節は2つです。
- 4〜6月:子どもを産む季節(春)
- 10〜12月:交尾の季節(冬)
チームは、サルの行動を観察しました。1頭ずつ、温泉に入っている時間や、群れの中の順位、けんかの回数などを記録したのです。
同時に、サルのふんを集めました。そして、ふんの中に含まれる、グルココルチコイドというホルモンが分解されてできた物質の量を測りました。グルココルチコイドは、ストレスを受けると増えるホルモンです。寒さの中で体温を保つのが大変なときにも、このホルモンが増えることがあると知られています。
結果は、次のとおりでした。
- メスは、春より冬、特に寒さの厳しい時期によく温泉に入った。
- 温泉に入った週は、入らなかった週より、ホルモンの量が低かった。
- この差がはっきり出たのは冬だけだった。春には、入っても入らなくても差がなかった。
研究チームは、冬に温泉に入ると、ストレスのホルモンが下がることが「示唆された」と書いています。そして、温泉に入ることで、体が使うエネルギーと、それによる体の冷えが減るのかもしれないと考えています。

04温泉は1か所しかなく、順位の高いメスが使いがちだった
2018年の研究では、もう一つのことが分かりました。地獄谷の群れが使える温泉は1か所だけです。その温泉は、順位の高いメスがよく使っていました。
京都大学の発表によると、順位の高いメスは、温泉に長く入れるので、そのぶんホルモンが下がります。ところが、順位の高いメスは、けんかに関わることも多くありました。そのため、全体として見ると、順位の高いメスのほうが、順位の低いメスよりもストレスのホルモンが高かったのです。
つまり、順位が高いことには、損と得の両方がありました。けんかが多いという損と、温泉を優先して使えるという得です。
また、地獄谷には、毎日平均500人ほどの観光客が来ます。京都大学の発表によると、研究チームが観光客の影響も調べたところ、観光客によってストレスのホルモンが上がる様子は見られませんでした。
深掘り講義
ここから先は、もう一段深く。しくみ・史料・論争まで踏み込みます。
「温泉に入った週はホルモンが低かった」は、温泉がストレスを減らしたことの証明ではない
2018年の研究の結果は、「温泉に入った週」と「入らなかった週」を比べたものです。サルを温泉に入れるかどうかを、研究者が決めたわけではありません。
このような研究では、別の理由が隠れている可能性が残ります。例えば、もともと調子のよい週に、サルが温泉に入りやすかったのかもしれません。こうした可能性は、この調べ方では完全には消せません。
京都大学の発表の見出しは、「温泉入浴がストレスホルモンの濃度を下げることを解明」という強い言い方です。でも、発表の本文の結論の部分は、「示唆された」という言い方になっています。この記事では、調べ方に合わせて、「温泉に入った週はホルモンが低かった」と書いています。
また、調べたのはメス12頭です。オスや子ども、ほかの群れのサルにも同じことが言えるかは、この研究だけでは分かりません。論文の全文は、この記事のためには読めなかったので、ホルモンの量が何%低かったかといった細かい数字は書いていません。
タケシタ研究員は、次は唾液などを使って、温泉に出入りしたときの急な温度の変化がホルモンにどう影響するかを調べたい、と話していました。また、温泉の得は冬に限られることを、観光客にも分かってほしいと話しています。
1匹の子ザルが始めた温泉入浴は、仲間や子どもに伝わったのか
ある動物が始めた行動が、まねや学習で仲間に広がることがあります。これを「社会的な伝わり方」と呼びます。2007年の研究は、温泉入浴がこの伝わり方をしているかどうかを、調べる目的の一つにしていました。
その2007年の研究では、母親が温泉に入るサルの子は、温泉に入りやすいことが分かっています。順位の高い家系ほど、この習慣が広まっていたことも分かりました。
ここで、2018年の研究の「温泉は順位の高いメスが使いがち」という結果を思い出してください。温泉に入れるかどうかには、寒さだけでなく、群れの中の順位や家系も関わっているのかもしれません。
順位の高いメスには「けんかの損」と「温泉の得」の両方があった
京都大学の発表は、順位の高いメスの状態を「トレードオフ」という言葉で説明しています。トレードオフとは、何かを得ると、別の何かを失う関係のことです。
順位の高いメスは、温泉を優先して使えるので、ホルモンが下がるという得があります。一方で、けんかに関わることが多く、全体ではホルモンが高いという損もあります。温泉の効果を調べるときには、こうした群れの中の関係も一緒に考える必要があるのです。
2026年の研究:温泉に入るサルと入らないサルで、シラミと腸内細菌を比べた
2026年には、京都大学などの研究チームが、温泉入浴と体の小さな生き物との関係を調べた論文を出しました。調べたのは、2019年12月から2021年3月までの、地獄谷の大人のメス16頭です。温泉に入るサルが9頭、入らないサルが7頭でした。
- シラミの卵をつまみ取る回数(シラミの多さの目安)は、入るサルと入らないサルで違いがあった。違いは、湯につかる体の部分と、つからない部分で見られた。
- おなかの寄生虫は、入る・入らないで、はっきりした差はなかった。
- 腸内細菌の種類の多さや組み合わせには、全体として差がなかった。ただ、入らないサルのほうに多い細菌のグループが4つあった。
研究チームは、温泉入浴が、サルと体の小さな生き物の関係に影響しているかもしれないと書いています。そして、健康への影響を知るには、さらに研究が必要だとしています。
05まとめ
地獄谷のニホンザルの温泉入浴は、1963年に、メスの子ザルが旅館の露天風呂に入ったことから記録が始まります。1980〜2003年の記録では、温泉に入る習慣があったのは群れのメスの3頭に1頭くらいで、大人のオスはあまり入りませんでした。
2018年の京都大学の研究では、メス12頭を調べて、冬に温泉に入った週はストレスのホルモンが低いことが分かりました。ただし、温泉は1か所だけで、順位の高いメスが使いがちでした。温泉がストレスを減らしたと言い切るには、まだ研究が必要です。
地獄谷の写真で温泉につかるサルを見たら、温泉に入る習慣のない3分の2ほどのメスや、あまり入らないオスのことも思い出してください。
人に話すなら、こう言おう
地獄谷の温泉に入るサルって、昔の記録だとメスの3頭に1頭くらいなんだって。京大の研究だと、冬に温泉に入った週はストレスのホルモンが低かったらしいよ。
英語で読む
Monkeys in the Hot Spring
英文をタップすると、その文の訳が出ます。
On a snowy day in 1963, a young female monkey did something new.1963年のある雪の日、1匹のメスの子ザルが新しいことをしました。 She got into the hot spring bath of an inn in Nagano, Japan.日本の長野県にある旅館の、温泉の露天風呂に入ったのです。 Other monkeys started to do the same.ほかのサルたちも同じことをし始めました。 Later, people made a special hot spring just for the monkeys at Jigokudani.その後、人々は地獄谷にサル専用の温泉を作りました。
Today these "snow monkeys" are famous around the world.今ではこの「スノーモンキー」は世界中で有名です。 But not every monkey takes a bath.でも、すべてのサルが温泉に入るわけではありません。 From 1980 to 2003, only 31 percent of the females in the group bathed as a habit.1980年から2003年まで、群れのメスのうち習慣的に入っていたのは31%だけでした。 Adult males did not bathe very much.大人のオスはあまり入りませんでした。
In 2018, a team from Kyoto University studied 12 adult females.2018年、京都大学のチームが大人のメス12頭を調べました。 They watched the monkeys and collected their poop.チームはサルを観察し、ふんを集めました。 In the poop, they measured a stress hormone, a chemical that goes up when the body is under stress.ふんの中のストレスホルモンを測りました。体がストレスを受けると増える物質です。 In winter, the hormone was lower in weeks when a monkey took a bath.冬は、サルが温泉に入った週のほうが、このホルモンが低くなっていました。 In spring, there was no clear difference.春には、はっきりした違いはありませんでした。
There is only one hot spring for the group.群れが使える温泉は1か所しかありません。 Monkeys with a high rank often used it first.順位の高いサルが、先に使うことがよくありました。 But these strong females also fought more, so their stress hormone was higher overall.でも、この強いメスたちはけんかも多く、全体ではストレスホルモンが高めでした。
The scientists say the bath may help the monkeys in the cold winter.科学者たちは、温泉が寒い冬のサルの助けになっているかもしれないと言っています。 But they studied only 12 monkeys, so we still need more research.でも調べたのは12頭だけなので、まだ研究が必要です。 So next time you see a photo of a monkey in the hot water, remember the monkeys outside in the snow, too.だから今度お湯につかるサルの写真を見たら、雪の中で外にいるサルのことも思い出してください。
4択問題 Reading Quiz
-
Q1What is this story mainly about?
この話は主に何についてのものですか。
正解:B Monkeys that bathe in a hot spring and what scientists found
第1段落で温泉に入るサルの始まり、第3・第4段落で研究で分かったことを述べているので正解はB。Aは第1段落の「サル専用の温泉」の話で、人のための温泉ではない。
-
Q2When did a monkey first get into the hot spring of the inn?
サルが初めて旅館の温泉に入ったのはいつですか。
正解:D In 1963
第1段落1・2文目に On a snowy day in 1963 … She got into the hot spring bath of an inn とあるので正解はD。1980年と2003年は記録の期間(第2段落)、2018年は研究の年(第3段落)。
-
Q3Why was the stress hormone of high-rank females higher overall?
順位の高いメスのストレスホルモンが全体として高かったのはなぜですか。
正解:A They fought more.
第4段落3文目に these strong females also fought more, so their stress hormone was higher overall とあるので正解はA。Bは誤りで、第4段落2文目では順位の高いサルが温泉を先に使っていた。
-
Q4In paragraph 2, the word "habit" is closest in meaning to
第2段落の habit という語に最も意味が近いのはどれですか。
正解:C something you do again and again
第2段落では、温泉に「習慣として」入るメスが31%だったと言っており、habit は「くり返しすること、習慣」の意味なので正解はC。Dは反対の意味。
-
Q5Which is true about the story?
この話の内容と合っているのはどれですか。
正解:B The hormone was lower in bathing weeks in winter.
第3段落4文目に In winter, the hormone was lower in weeks when a monkey took a bath とあるので正解はB。Dは第3段落5文目で春ははっきりした違いがなかったとあるので誤り。Cは12頭なので誤り。
重要語 Key Words(タップで裏返る)
-
hot spring名詞温泉
We stayed at a hotel with a hot spring.
私たちは温泉のあるホテルに泊まった。
💡 spring には「春」のほかに「泉、わき水」の意味がある。
-
inn名詞旅館、宿屋
The old inn is near the river.
その古い旅館は川の近くにある。
💡 hotel より小さく、昔ながらの宿によく使う。
-
female名詞・形容詞メス(の)、女性(の)
The female bird sits on the eggs.
メスの鳥が卵を温める。
💡 反対は male(オス、男性)。
-
habit名詞習慣、くせ
Reading before bed is a good habit.
寝る前の読書はよい習慣だ。
💡 as a habit で「習慣として」。break a habit で「習慣をやめる」。
-
hormone名詞ホルモン
Sleep affects many hormones in the body.
睡眠は体の多くのホルモンに影響する。
💡 発音は「ホーモウン」に近い。体の働きを調節する物質。
-
stress名詞ストレス、負担
Tests can cause a lot of stress.
テストは大きなストレスになることがある。
💡 under stress で「ストレスを受けて」。
-
rank名詞順位、地位
He has a high rank in the team.
彼はチームで高い地位にある。
💡 動詞では「順位をつける」。rank first で「1位になる」。
-
measure動詞測る
Please measure the length of this desk.
この机の長さを測ってください。
💡 名詞 measurement は「測定」。
SOURCES出典・ウラ取り
この記事の事実は、次の資料を実際に開いて確認しています(確認した事実 26件)。
- Takeshita, R. S. C. ほか (2018) Beneficial effect of hot spring bathing on stress levels in Japanese macaques, Primates 59:215-225doi.org
- 地獄谷のニホンザル、温泉に入ってストレスを緩和(京都大学 研究成果 2018年4月4日)kyoto-u.ac.jp
- 同 詳しい資料(京都大学 PDF)kyoto-u.ac.jp
- Zhang, P., Watanabe, K., Eishi, T. (2007) Habitual hot-spring bathing by a group of Japanese macaques (Macaca fuscata) in their natural habitat, American Journal of Primatology 69:1425-1430doi.org
- Langgeng, A. ほか (2026) Of hot springs and holobionts: linking hot spring bathing behavior, parasitism, and gut microbiome in Japanese macaques, Primates 67:199-211doi.org
- 地獄谷野猿公苑について(地獄谷野猿公苑 公式サイト)jigokudani-yaenkoen.co.jp
公式ページで見てみよう
- 地獄谷野猿公苑 公式サイトjigokudani-yaenkoen.co.jp
文章はすべて資料をもとに独自の言葉で書いています。画像はオリジナルのイメージです。誤りにお気づきの方は訂正窓口へ。
NEXT TRIVIAこの雑学にうなった人は、これにもうなる
No.026ウォンバットのうんちが四角いのは、腸の中で角ができるから
腸の壁の「かたさの違い」が角を作るらしい。
No.027カラスは人の顔を何年も覚えていて、子どもにも伝える
捕まえる場面を見ていない子ガラスまで、お面に騒いだ。
No.028フラミンゴは、自分の脂で羽をピンクに「化粧」している
ピンク色は、食べ物と「化粧」の両方から。
No.183ウソFALSE「犬の1年は人の7年」はウソで、DNAの変化で比べると1歳の犬は人の31歳に当たる
DNAの変化で見ると、1歳の犬は人の31歳。
No.219ウソFALSE「バグ」という言葉は、1947年にコンピューターにいた蛾から生まれたのではない
エジソンは1878年に「バグ」と手紙に書いていた。
No.147グレーGRAY「タイタニックは絶対に沈まない」と言われていたのは本当か
会社の幹部が「沈まない」と語ったのは、沈んだあと。