
「ガラスはゆっくり流れる液体」はウソだった
ガラスが流れるのは、10億年で1ナノメートルほど。
この判定の対象「ガラスは、ゆっくり流れる液体だ」
もくじ
ヨーロッパの古い教会では、窓ガラスの下のほうが、上より厚くなっていることがあります。見た目は、まるで少し溶けて垂れたようです。
この窓には、決まった説明がよくつけられます。「ガラスは、とてもゆっくり流れる液体です。何百年もかけて、ガラスが下へたまったのです」。この説明をするのは、観光ガイドやネットのうわさだけではありません。高校の化学の先生まで、こう教えることがあったと言われます。
でも、この説明は間違いです。2017年、アメリカの研究チームが、中世のガラスの成分で、ガラスが流れる量を計算し直しました。結果は、窓ガラスが流れるのは「10億年で、約1ナノメートル」でした。1ナノメートルは、1ミリの100万分の1です。
では、なぜ下が厚いのでしょう。ガラスが流れたからではありません。有力な説明は、昔のガラスの作り方と、窓にはめる職人のはめ方です。
この記事では、まず昔の窓ガラスの作り方と、職人のはめ方を説明します。次に、ガラスが常温でどれだけ流れるかを、科学者がどう計算したかを紹介します。最後に、「ガラスは固体か液体か」という専門家の論争にも触れます。
01昔の窓ガラスは、溶けたガラスを回して広げて作っていた
昔の窓ガラスの作り方の一つを、クラウン法といいます。イギリスのガラス会社ピルキントン(Pilkington)が、自社の歴史のページで説明しています。
まず、長い吹きざおの先で、溶けたガラスを玉にふくらませます。次に玉の先を切って、口をあけます。それをもう一度温めて、さおごとくるくる回します。すると玉は外へ外へと広がり、平らな円盤になります。この円盤を「クラウン(王冠)」と呼びました。
回して広げるので、円盤の外側は引きのばされて、薄くなります。まん中は厚いまま残ります。まん中には、さおをつけていた跡のこぶもできました。このこぶのあるガラスは、イギリスのパブの窓などで今も見られます。
窓は普通四角です。丸い円盤から四角い板を切り出すと、1枚の板の中に、厚い所と薄い所が混ざります。クラウン法は、むだになる部分も多い作り方でした。
もう一つの作り方が、円筒法です。ガラスを大きな筒の形に吹き、縦に切って開きます。開いたガラスを炉で温め直して、平らに伸ばしました。円筒法でも、できた板がきれいに平らになるとは限りませんでした。
02昔の職人は、厚さにムラのある窓ガラスを、厚いほうを下にしてはめることが多かった
厚さにムラのある板を、窓にはめるとします。厚いほうを上にするか下にするかは、はめる職人が決めることです。
科学雑誌サイエンティフィック・アメリカン(Scientific American)の2007年の記事では、職人は厚いほうを下にはめるのを好んだ、と紹介されています。なぜそうしたのかは、はっきりとは分かっていません。こうして「下が厚い窓」が残った、というのが記事の説明です。
ここで、「ガラスが流れた」という説に都合の悪い事実があります。もしガラスが流れるなら、もっと古いガラスほど、もっと垂れているはずです。ところが、古代エジプトのガラスの器には、垂れた跡がありません。アメリカのコーニング・ガラス美術館で古いガラスを研究したロバート・ブリル(Robert Brill)が、同じ記事でそう話しています。

03「ガラスは流れる」は科学者も信じていたが、1998年の計算で、人の一生では流れないと分かった
「ガラスは流れる」と信じていたのは、一般の人だけではありませんでした。ブラジルのガラス研究者エドガー・ザノット(Edgar Zanotto)は、1998年の論文の最初にこう書いています。科学者の間でも「ガラスは常温で流れる」と広く信じられていた。そのおもな根拠は、教会の窓の話だった、と。
そこでザノットは計算しました。成分の違う何種類かのガラス(今のガラスと昔のガラス)について、常温でどれだけ流れるかを見積もったのです。結論は「流れるとしても、人類の歴史をはるかに超える時間がかかる」でした。
翌1999年、ザノットは別の研究者と一緒に、この見積もりを直しました。流れるのにかかる時間は、何けたも短くなりました(1けた短いとは、10分の1になることです)。それでも、「人間が生きている時間では、ガラスは流れない」という結論は同じでした。
この計算でいちばん大事なのは、温度です。ガラスにとって、私たちがくらす「常温」は、とても冷たい温度です。普通の窓ガラスにとって、常温は、ガラスが固まる温度より、およそ530℃も低いのです。
04中世の窓ガラスで計算し直しても、ガラスが流れる量は10億年たっても目に見えないほど小さい
それでも、ザノットたちの計算には、弱点が一つ残っていました。計算に、今のガラスの成分を使っていたのです。中世のガラスは成分が違うので、もっと流れやすいかもしれません。
中世のガラスで確かめたのが、ジョン・モーロ(John Mauro)たちです。モーロはアメリカのガラス会社コーニングで18年働き、ゴリラガラス(コーニング社の商品名)という強いガラスを研究していました。モーロは、ゴリラガラスの粘り気(流れにくさ)を低い温度で測りました。すると、それまで中世のガラスについて言われていた粘り気より、何けたも小さい値が出ました。そこでモーロは、「中世のガラスについての前の数字は、本当に正しいのか」と考えました。これが研究の始まりです。
チームは、ロンドンのウェストミンスター寺院にある13世紀の窓ガラスに注目しました。そして、その窓のガラスによくある成分をもつガラスについて、流れやすさを調べました。
調べた結果、中世のガラスは、前の見積もりよりずっと流れやすいことが分かりました。粘り気の数字は、前の研究より16けたも小さかったのです。16けた小さいとは、1京分の1(10の16乗分の1)になるということです。それでも、粘り気はまだ、とてつもなく大きな値でした。窓にはまったガラスが自分の重さで流れる量は、多く見積もっても10億年で約1ナノメートルでした。論文は2018年1月、アメリカのセラミックス学会の専門誌に載りました。
ウェストミンスター寺院の窓は、作られてからまだ1000年もたっていません。10億年で約1ナノメートルなら、800年で流れる量は、1ナノメートルの100万分の1より、さらに小さくなります。これほど小さな流れでは、目で見える厚さの差を説明することはできません。
深掘り講義
ここから先は、もう一段深く。しくみ・史料・論争まで踏み込みます。
しくみ:物が流れて見えるかどうかは、見ている時間の長さで決まる
液体の流れにくさを粘度といいます。水はさらさら、はちみつはとろり。粘度が大きいほど、形が変わるのに時間がかかります。
ピッチの粘度は水の1000億倍です。それでもピッチは、1930年から2014年までの84年で、9滴落ちました。一方、ウェストミンスター寺院のガラスの成分で調べた常温の粘度は、10の24乗〜25乗パスカル秒でした(パスカル秒は粘度の単位)。ピッチより、さらに何けたも大きい数字です。
ここで大事なのは、物が「流れるかどうか」は、物の性質だけでは決まらないことです。どのくらい長い時間、その物を見ているかでも変わります。モーロは、ガラスを「原子の並びは液体に似ているが、普通の時間では固体としてふるまう物」と説明しています。
用語:ガラスは、溶かした材料を急に冷やし、原子がばらばらに並んだまま固めたもの
ガラスの材料を溶かして液体にし、急に冷やします。すると、普通なら固まる温度より下でも、液体のままの状態が続きます。これを過冷却液体といいます。
過冷却液体をさらに冷やすと、ある温度の範囲で、原子の動きがほぼ止まります。これがガラス転移です。原子は結晶のようにきちんと並ぶひまがなく、ばらばらの並びのまま動けなくなります。このような、規則正しい並びをもたない固まりを非晶質(アモルファス)と呼びます。
学説・論争:ガラスを「固体」と呼ぶかどうかは、専門家でも意見が分かれる
「窓ガラスが流れる」はウソです。でも、「ガラスは本当に固体か」については、専門家の間でも言い方が分かれています。
ザノットとモーロは2017年に、「ガラスとは何か」の新しい定義を出しました。一般向けにまとめると「短い時間では固体に見えるが、液体の状態に向かって少しずつ変わり続ける、結晶でない状態」です。さらに「最後には結晶になる」とも書きました。
これに対して、別の研究者たちは反論しました。1920〜30年代からある「ガラスは固体」という定義のほうがよい、という立場です。ザノットとモーロは、2018年の論文でこの反論に答えています。ガラス転移温度(原子がほぼ動けなくなる温度)より30〜50℃低いだけなら、3か月以内に結晶になったガラスもある。ただし常温の普通のガラスでは、結晶になるのに宇宙の年齢より長くかかる、と。
つまり、どちらの立場でも「窓ガラスは人の一生では流れない」という点は同じです。意見が分かれているのは、ガラスを「固体」と呼ぶかどうかという、言葉の決め方です。
「ガラスは流れる」説には、目に見える証拠と理屈はあったが、流れる速さの数字が欠けていた
「ガラスは流れる」という説がいつ誰から始まったのか、はっきりした最初の記録は分かっていません。ただ、ザノットの1998年の論文は、科学者の間でも広く信じられていたと書いています。
この説には、目で見える証拠(下が厚い窓)と、一応の理屈(ガラスは液体に似ている)がそろっていました。だから、多くの人に信じられたのです。欠けていたのは、「ガラスがどれくらいの速さで流れるのか」という数字でした。流れる速さを計算してみると、この説は成り立たなくなりました。
ただし、その計算に使う数字にも、見直しが必要でした。ペンシルベニア州立大学の発表によると、それまでの見積もりには弱点が三つありました。今のガラスの成分を使っていたこと。流れの計算そのものをしていなかったこと。そして、何十年も前の旧ソ連での測定にたよっていたことです。中世のガラスで測り直すと、流れやすさの数字は16けたも変わりました。それでも、「窓ガラスは人の一生では流れない」という結論は変わりませんでした。中世のガラスを使っても、この結論が変わらないと確かめたことが、2017年の研究のいちばん大事な点です。
05まとめ
古い窓ガラスの下が厚いのは、ガラスが流れたからではありません。昔はガラスを回して広げたり、筒を開いたりして作ったので、もともと厚さにムラがありました。職人はその厚いほうを、下にはめることが多かったと考えられています。中世のガラスの成分で計算しても、流れるのは10億年で約1ナノメートル。古い教会で下が厚い窓を見つけたら、ほかの窓も見てください。上のほうが厚い窓が、混ざっているかもしれません。
人に話すなら、こう言おう
「古い窓ガラスは下が厚い、ガラスは液体だから」って話、ウソなんだって。中世のガラスで計算したら、10億年で1ナノメートルしか動かないらしいよ。
英語で読む
Do Old Windows Really Melt?
英文をタップすると、その文の訳が出ます。
In some old churches in Europe, the window glass is thicker at the bottom than at the top.ヨーロッパの古い教会の中には、窓ガラスが上より下のほうで厚くなっているものがあります。 Many people say this is because glass is a slow liquid.多くの人は、ガラスがゆっくり動く液体だからだと言います。 They believe it flowed down over hundreds of years.何百年もかけて下へ流れたのだ、と信じているのです。 But this story is not true.でも、この話は本当ではありません。
The most likely reason is the way people made glass long ago.いちばん有力な理由は、昔の人たちのガラスの作り方にあります。 A worker blew a ball of hot glass on a long pipe.職人は長い管の先で、熱いガラスを玉の形にふくらませました。 Then he opened the ball and spun it fast.それから玉に口をあけて、速く回しました。 It became a big flat circle, thin at the edge and thick in the middle.玉は大きな平たい円になり、ふちはうすく、まん中は厚くなりました。 So each window pane had thick parts and thin parts.そのため、窓ガラスの1枚1枚に、厚い所とうすい所がありました。 When workers put the glass in a window, they often put the thick side at the bottom.職人はガラスを窓にはめるとき、厚いほうを下にすることが多かったのです。
There is another clue.もう一つ手がかりがあります。 Glass cups from ancient Egypt are much older than church windows.古代エジプトのガラスの器は、教会の窓よりずっと古いものです。 If glass really flowed, these cups would look melted.もしガラスが本当に流れるなら、こうした器はとけたように見えるはずです。 But they do not.でも、そうはなっていません。
In 2017, John Mauro and his team studied glass with the same recipe as the 13th-century windows of Westminster Abbey in London.2017年、ジョン・モーロと研究チームは、ロンドンのウェストミンスター寺院にある13世紀の窓と同じ成分のガラスを調べました。 They found that this old glass flows more easily than scientists thought before.その結果、この古いガラスは、科学者たちが前に考えていたより流れやすいことが分かりました。 Even so, it can move only about 1 nanometer in one billion years.それでも、10億年で約1ナノメートルしか動けません。 A nanometer is one millionth of a millimeter.1ナノメートルは、1ミリメートルの100万分の1です。
So when you see an old window with a thick bottom, you can smile.だから、下が厚い古い窓を見たら、にっこりしていいのです。 The glass did not melt.ガラスはとけたわけではありません。 A worker probably chose to put the heavy side down.職人が、重いほうを下にすると決めたのだろうと考えられています。
4択問題 Reading Quiz
-
Q1What is this story mainly about?
この話は主に何についてのものですか。
正解:B Why some old windows are thicker at the bottom
第1段落で「下が厚い窓」の話を出し、第2〜5段落でその本当の理由を説明しているので正解はB。Cのエジプトの器は第3段落の手がかりとして出てくるだけで、話の中心ではない。
-
Q2How far can the old glass move in one billion years?
古いガラスは10億年でどれくらい動けますか。
正解:C About 1 nanometer
第4段落3文目に「10億年で約1ナノメートルしか動けない」とあるので正解はC。Dの「まったく動けない」は、少しは流れると書かれているので合わない。
-
Q3Why did each window pane have thick parts and thin parts?
窓ガラスの1枚1枚に厚い所とうすい所があったのはなぜですか。
正解:D Workers spun the hot glass into a circle.
第2段落で、熱いガラスを回して円にすると、ふちがうすく、まん中が厚くなると説明しているので正解はD。Aはこの話がまちがいだと言っている説明そのものである。
-
Q4In paragraph 3, the word "clue" is closest in meaning to
第3段落の clue という語に最も意味が近いのはどれですか。
正解:A a hint that helps you find the answer
第3段落では、エジプトの器が「ガラスは流れない」と考える材料として出てくるので、clue は「手がかり、ヒント」の意味。正解はA。Bは直後に出てくる cups と混同しやすいが、意味がちがう。
-
Q5Which is true about the glass cups from ancient Egypt?
古代エジプトのガラスの器について正しいのはどれですか。
正解:B They do not look melted.
第3段落で、流れるならとけたように見えるはずだが「そうはなっていない(But they do not.)」とあるので正解はB。Aは「教会の窓よりずっと古い」とある第3段落2文目と逆。
重要語 Key Words(タップで裏返る)
-
liquid名詞液体
Water and milk are liquids.
水と牛乳は液体だ。
💡 solid(固体)、gas(気体)とセットで覚える。
-
flow動詞流れる
The river flows into the sea.
その川は海に流れこむ。
💡 flow into ~ で「~に流れこむ」。fly(飛ぶ)の過去形 flew と混同しない。
-
melt動詞とける
The ice cream melted in the sun.
アイスクリームが日なたでとけた。
💡 熱でとけるのが melt。砂糖が水にとけるのは dissolve。
-
pane名詞(窓の)ガラス板1枚
A ball broke a pane of the window.
ボールが窓ガラスを1枚割った。
💡 a window pane で「窓ガラス1枚」。発音は pain(痛み)と同じ。
-
spin動詞(くるくる)回す、回る
The child spun the top on the floor.
子どもは床でこまを回した。
💡 過去形・過去分詞は spun。spin around で「くるっと回る」。
-
ancient形容詞古代の、大昔の
We learned about ancient Rome in class.
授業で古代ローマについて学んだ。
💡 old よりずっと古い時代に使う。ancient history(古代史)。
-
clue名詞手がかり
The police found a clue near the door.
警察はドアの近くで手がかりを見つけた。
💡 a clue to ~ で「~の手がかり」。I have no clue. は「全然わからない」。
-
nanometer名詞ナノメートル(10億分の1メートル)
A nanometer is too small to see.
1ナノメートルは小さすぎて見えない。
💡 nano- は「10億分の1」。millimeter、centimeter と同じ作り。
SOURCES出典・ウラ取り
この記事の事実は、次の資料を実際に開いて確認しています(確認した事実 21件)。
- Zanotto, E. D. (1998) Do cathedral glasses flow?, American Journal of Physics 66(5)doi.org
- Zanotto, E. D. & Gupta, P. K. (1999) Do cathedral glasses flow?—Additional remarks, American Journal of Physics 67(3)doi.org
- Gulbiten, O., Mauro, J. C., Guo, X. & Boratav, O. N. (2018) Viscous flow of medieval cathedral glass, Journal of the American Ceramic Society 101(1)doi.org
- Researcher uses Westminster Abbey windows to shine light on glass myth(Penn State News, 2017)psu.edu
- Zanotto, E. D. & Mauro, J. C. (2018) Comment on "Glass Transition, Crystallization of Glass-Forming Melts, and Entropy", Entropy 20(9)doi.org
- Crown Process(Pilkington 社の沿革)pilkington.com
- Fact or Fiction?: Glass Is a (Supercooled) Liquid(Scientific American, 2007)scientificamerican.com
- Pitch Drop experiment(クイーンズランド大学 数学物理学部)smp.uq.edu.au
公式ページで見てみよう
- Invention of Float Glass(Pilkington 社の沿革)pilkington.com
文章はすべて資料をもとに独自の言葉で書いています。画像はオリジナルのイメージです。誤りにお気づきの方は訂正窓口へ。
NEXT TRIVIAこの雑学にうなった人は、これにもうなる
No.036アメリカの最高裁は1893年、トマトを「野菜」と決めた
判決文には「植物学では果実」とも書いてある。
No.037グレーGRAY「ハチミツは腐らない」は、条件つきで本当
水が入ると、ハチミツも発酵する。
No.038空は、なぜ紫ではなく青く見えるのか
人の目が、紫の光をあまり感じないから。
No.067グレーGRAY「お湯のほうが水より早く凍る」は、本当かどうか決着していない
温度計の位置が1cmずれるだけで、結果が変わる。
No.114グレーGRAYサンドイッチ伯爵が賭けの最中に食べた、という話は本当か分からない
元の本には、伯爵の名前が書いていない。
No.300空気のない月に「さび」があり、その酸素は地球から届いたらしい
月のさびの酸素は、地球から届いたらしい