脳と心理ホント

マウスに"ありもしない怖い記憶"を植え付けた。光で記憶のスイッチを押す研究の現在地

マウスに"ありもしない怖い記憶"を植え付けた。光で記憶のスイッチを押す研究の現在地

読む前に予想してみよう!

この研究で、人間の記憶を光で自由に書き換える方法が確立された

研究カード(どんな研究?)
対象
遺伝子改変マウス
規模
1実験あたり数匹〜十数匹
研究の種類
動物実験(光遺伝学)
確かさ
★★★☆☆
3秒でわかる

記憶を担う神経細胞に光で反応する目印をつけ、別の場所で光を当てて恐怖と結びつけたら、マウスは何も起きていない場所を怖がるようになった。

ひとことで言うとマウスの記憶を光で呼び起こしたり、ニセの記憶を作ったりできたんだ!

もくじ
  1. 光で神経細胞を動かす「光遺伝学」
  2. 記憶の"スイッチ"を押すと、マウスは固まった
  3. そして、ニセの記憶を作った
  4. 人の「記憶違い」にもヒント?
  5. どんでん返し:人への応用は遠い
  6. まとめ

「記憶を書き換える」——SF映画でよく見る設定です。

でも2013年、それに近いことがマウスで実際に行われました。研究したのは、ノーベル賞学者の利根川進(とねがわ・すすむ)さんが率いるアメリカ・マサチューセッツ工科大学(MIT)と理化学研究所のチーム。マウスの脳に、本当は起きていない「怖い記憶」を作り出したのです。

01光で神経細胞を動かす「光遺伝学」

この研究を可能にしたのが、光遺伝学(オプトジェネティクス)という技術です。

藻の仲間が持つ、光に反応するタンパク質の遺伝子を神経細胞に入れると、その細胞は光を当てたときだけ活動するようになります。2005年に神経細胞で使えることが示され、脳研究に革命を起こしました。

狙った細胞だけを、狙ったタイミングで、光のスイッチでオンにできるのです。

02記憶の"スイッチ"を押すと、マウスは固まった

光を当てていないとき、マウスは平気でした。つまり、光で特定の記憶を担う細胞(エングラム)をオンにするだけで、その記憶を呼び起こせたことになります。

03そして、ニセの記憶を作った

2013年、チームはさらに一歩進めました。

  1. 部屋A(安全):マウスを入れ、そのとき働いた海馬(歯状回)の細胞に目印をつける。何も怖いことは起きない
  2. 部屋B:マウスを移し、部屋Aの記憶の細胞に光を当てながら、軽い電気ショックを与える
  3. 部屋Aに戻す:すると、マウスは部屋Aで固まった

マウスは部屋Aで一度もショックを受けていません。それでも、脳の中では「部屋A=怖い場所」という記憶ができあがっていたのです。研究チームはこれを偽りの記憶と呼びました。

「部屋Aの記憶」を思い出させながら、部屋Bで怖い経験をさせる
「部屋Aの記憶」を思い出させながら、部屋Bで怖い経験をさせる

04人の「記憶違い」にもヒント?

人の記憶も、あとから入った情報で書き換わることが知られています。この研究は、そうした記憶違いが、脳の中で本物の記憶と似た仕組みで作られている可能性を示しました。

実際、偽りの記憶が呼び起こされるとき、本物の恐怖の記憶を思い出すときと似た脳の領域が働いていました。

05どんでん返し:人への応用は遠い

この研究は「記憶を自由に書き換えられる時代が来る!」と話題になりました。でも、現実はずっと慎重です。

  • 人の脳に遺伝子を入れたり光ファイバーを入れたりするのは、安全面・倫理面で大きな壁がある
  • マウスで扱えたのは「この部屋は怖い」という単純な記憶。人の複雑な思い出とは比べものにならない
  • 1つの記憶を担う細胞が、本当に海馬の一部の細胞だけなのかも、まだ研究中

2020年の総説では、エングラム研究が「過去を思い出す」だけでなく「未来を想像する」仕組みの理解にもつながりうると論じられていますが、それも基礎研究の段階です。

06まとめ

光で記憶の細胞をオンにすると、マウスは記憶を思い出し、さらには起きていない出来事の記憶まで作り出せた。記憶は、脳の中の特定の細胞の"まとまり"に宿っているらしいのです。

SFのような研究ですが、目的は記憶の仕組みを知ること。人の記憶の不思議を解き明かす道は、まだまだ続いています。

この研究を英語で読もう原田英語の English CornerA technique called optogenetics allows scientists to switch specific brain cells on with light. 音声 4択クイズ9問A2・B1・B2タップして開く

原田英語の English Corner

この研究を英語で読もう

A technique called optogenetics allows scientists to switch specific brain cells on with light. In 2012, a team at MIT and RIKEN, led by the Nobel Prize winner Tonegawa, marked the cells in the hippocampus that were active when mice formed a fear memory in one room.

Later, when light was shone on these cells in a different, safe room, the mice froze in fear. In 2013, the team went further. They marked the cells that stored the memory of a safe room, then activated them with light while giving the mice a mild shock in another room. Back in the safe room, the mice froze, even though nothing bad had ever happened there.

114 words ・ CEFR B1

和訳を見る

光遺伝学と呼ばれる技術を使うと、科学者は特定の脳細胞を光でオンにすることができます。2012年、ノーベル賞受賞者の利根川さんが率いるMITと理化学研究所のチームは、マウスがある部屋で恐怖の記憶を作ったときに活動した海馬の細胞に目印をつけました。

その後、別の安全な部屋でこれらの細胞に光を当てると、マウスは恐怖で固まりました。2013年、チームはさらに一歩進みました。安全な部屋の記憶を蓄えた細胞に目印をつけ、別の部屋でマウスに軽いショックを与えながら、光でその細胞を活性化したのです。安全な部屋に戻ると、そこでは一度も悪いことが起きていないにもかかわらず、マウスは固まりました。

4択リーディングクイズ

Q1. What does optogenetics allow scientists to do?

Q2. What happened in the 2012 experiment when light was shone on the marked cells?

Q3. Why did the mice freeze in the safe room in 2013?

重要単語

  • optogeneticsC1
    名詞光遺伝学Optogenetics lets scientists control neurons with light. opto-(光)+genetics(遺伝学)。光と遺伝子操作を組み合わせた技術。
  • engramC1
    名詞記憶痕跡(記憶を担う細胞のまとまり)An engram may hold a single memory. en-(中に)+gram(書かれたもの)。脳に「刻まれた」記憶のイメージ。
  • labelB1
    動詞目印をつけるThe cells were labeled with a special protein. 名詞「ラベル」の動詞用法。tag もほぼ同じ意味で使われる。発音は /ˈleɪbəl/(レイベル)。
  • freezeB1
    動詞(恐怖で)すくむ、固まるMice freeze when they are afraid. 活用 freeze-froze-frozen。動物実験では freezing が恐怖の指標として使われる。
  • contextB2
    名詞(実験の)環境、状況The mice remembered the context of the shock. 一般には「文脈」。in this context「この文脈では」。形容詞 contextual。
  • genetically modifiedB2
    形容詞(句)遺伝子を改変したThe study used genetically modified mice. GM と略される。genetically modified food「遺伝子組み換え食品」も頻出。

4コマでわかる

マウスに"ありもしない怖い記憶"を植え付けた。光で記憶のスイッチを押す研究の現在地の4コマ漫画
マウスが「安全な部屋」にいたときに働いた神経細胞に目印をつけ、別の部屋で光を当ててその記憶を呼び起こしながら電気ショック。すると、マウスは一度も怖い目にあっていない最初の部屋で固まるようになったらしい。ニセの記憶の完成。

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出典・参考文献(4件)タップで表示
  1. Boyden et al. (2005) Millisecond-timescale, genetically targeted optical control of neural activity, Nature Neurosciencedoi.org
  2. Liu et al. (2012) Optogenetic stimulation of a hippocampal engram activates fear memory recall, Naturedoi.org
  3. Ramirez et al. (2013) Creating a false memory in the hippocampus, Sciencedoi.org
  4. Josselyn & Tonegawa (2020) Memory engrams: recalling the past and imagining the future, Sciencedoi.org