
ペニシリンのカビが窓から入ったという話は本当か
「カビは窓から」は、発見から17年後の話。
この判定の対象「ペニシリンのカビは、窓から飛んできた」
もくじ
「カビは、開いていた窓から飛んできた」。ペニシリン発見の話によく出てくるこの場面は、1928年の記録にはありません。初めて語られたのは、17年後の1945年です。発見者のアレクサンダー・フレミング(Alexander Fleming)本人が、映画を作る準備をしていた人に話したのでした。
その後、ある細菌学者が、カビは別の場所から来たのではないかと言い出しました。その場所は、同じ建物のすぐ下の階にあった、カビ専門の研究室です。この細菌学者は、さらにこう推定しています。カビの周りで細菌が溶けるようになるには、寒い日が何日か続く必要がある。1928年の夏のロンドンで、その条件がそろったのは9日間だけだった。
発見のあとにも、あまり知られていない話があります。1929年3月、ウサギに注射したペニシリンは、30分後には血液から見つからなくなりました。ペニシリンが薬として効くと示されるまでには、発見から12年かかりました。
この記事では、まず発見のときの様子を紹介します。次に、カビの出どころについての2つの説を比べます。最後に、薬になるまで12年かかった理由を説明します。
01捨てようとしていた皿の1枚で、カビの周りだけ細菌が溶けて消えていた
1928年9月、ロンドンのセント・メアリー病院。細菌学者のフレミングは、休暇の途中で、用事のために研究室に立ち寄りました。
実験台には、休暇の前に片づけずに置いていったガラスの皿(シャーレ)が積んでありました。シャーレの中では、ブドウ球菌を育てていました。ブドウ球菌は、おできや、傷の化膿(うみが出ること)を起こす、よくある細菌です。
そのシャーレの1枚に、青緑色のカビが生えていました。そして、カビの周りだけ、ブドウ球菌の点々がすきとおって、溶けたようになっていました。
フレミングが調べていたのは、ブドウ球菌の珍しいコロニー(細菌が集まってできる点)でした。アメリカの科学史の研究機関によると、フレミングは約2週間の休暇に出る前、シャーレを培養器(細菌を育てる装置)にしまわず、実験台に置いたままにしていました。
細菌学者のロナルド・ヘア(Ronald Hare)は、のちに当時の実験ノートや、同僚たちの話を調べました。ヘアによると、発見はおそらく1928年9月3日か4日です。フレミングは、すでにたくさんのシャーレを捨てていました。そこへ同僚のプライスがおしゃべりに来たので、捨てる山からシャーレを取り出して見せていました。そのとき、1枚のようすがおかしいことに気づいたのです。
フレミングは、このカビを別のシャーレに植え替えて保存し、性質を調べました。カビは、アオカビの仲間のペニシリウム・ノタトゥム(Penicillium notatum)でした。フレミングは、このカビが出す物質に「ペニシリン」と名前をつけました。フレミングはのちに、名前の由来をこう説明しています。ジギタリスという植物から取った薬を「ジギタリン」と呼ぶ。それと同じように、カビの仲間の名前(ペニシリウム)から取った名前だ、と。
ペニシリンの報告は、1929年6月に、イギリスの『実験病理学雑誌』に載りました。論文の題名には、「インフルエンザ菌を選び出すための使い道」という言葉が入っています。題名のとおり、論文の中心は「薬としての使い方」ではありませんでした。検査のときに、細菌を種類ごとに選び分ける道具としての使い方だったのです。
02「カビは窓から入った」という話は、発見から17年後に初めて出てきた
ヘアが1982年に書いた論文によると、カビがどこから来たかについては、1945年まで誰も何も書いていません。1945年に、フレミングは、カビは研究室の外の通りから窓を通って飛んできた、と語りました。ただし、そのことを示す証拠はありませんでした。この話は、そのあと作家モーロワが書いたフレミングの伝記に載り、広く知られるようになりました。
ヘアは、1970年に、この窓の話に反論しました。反論の理由は2つです。1つは、研究室の窓は手が届きにくい場所にあり、めったに開けなかったことです。もう1つは、窓辺には細菌を育てた容器が置いてあったことです。窓を開ければ、その容器が下の通りを歩く人の頭に落ちる恐れがありました。
ヘアが、窓の代わりにカビの出どころとして挙げたのは、フレミングの研究室のすぐ下の階です。そこには、ラ・トゥーシュ(C. J. La Touche)という研究者の、カビ専門の研究室がありました。ヘアは、カビの胞子(カビのたね)が下の階から階段を上がり、いつも開いていたドアから入ってきた、と考えました。
この説には、証拠もあります。発見のすぐあと、ラ・トゥーシュは10種類のカビをフレミングに渡しました。フレミングは、それに、ほかから手に入れた3種類のカビを合わせて試しました。すると、細菌を抑える物質を作ったカビは1種類だけでした。それが、ラ・トゥーシュのカビでした。フレミングの論文には、そのカビは、シャーレに生えていた元のカビとまったく同じ性質だと書かれていました。

03細菌が溶けるのに必要な寒さは、1928年夏のロンドンで9日間しかなかったとされる
カビの周りで細菌が溶けるようすは、まねしようとしても、簡単には再現できません。ヘアは実験を繰り返して、この現象が起きる条件を見つけました。条件は3つです。
- シャーレに細菌を植えたときに、カビの胞子も一緒についていること。
- そのあと5日ほど、20℃より低い温度が続くこと。
- 最後に、暖かくなること。
寒い間は、細菌はあまり増えません。そのすきにカビが育って、ペニシリンを出します。そのあと暖かくなると、カビの周りだけ細菌が育たない「輪」ができるのです。
ヘアは、1928年7月から9月のロンドンの気温の記録を調べました。すると、この条件に合う寒さが続いたのは、9日間だけでした。ヘアは、フレミングがシャーレに細菌を植えたのは7月30日か31日だろう、と推定しています。
ヘアによれば、この現象は、熱帯や、夏の暑い大陸の気候では、まず起こりません。フレミングは、本人が思っていたよりずっと運がよかった、というのがヘアの見方です。
04フレミングたちは、ペニシリンを濃くして薬にすることができなかった
1928年12月21日、若い医師のクラドックが、フレミングの研究に加わりました。クラドックは、同僚のリドリーと一緒に、ペニシリンを濃くしようと実験を重ねました。しかし、ペニシリンは壊れやすい物質でした。部屋の温度で14日置いておくと、効き目はほとんど消えてしまいました。
1929年3月の2つの実験も、期待どおりにはいきませんでした。
1つめは、3月8日のクラドックの実験です。ペニシリンが一番よく効いたのは、普通の培地(細菌を育てる栄養の入った材料)の中でした。ところが、人の血液の中では、効き目が半分ほどに落ちました。血清(血液から血の固まりをのぞいた液)の中では、4分の1ほどに落ちました。
2つめは、3月22日の実験です。クラドックがウサギの静脈にペニシリンを注射し、30分後に血液を取って調べると、もう効き目は見つかりませんでした。
この2つの実験は、1929年6月に出た論文には書かれていません。
フレミングは1929年の論文で、ペニシリンが効く細菌による感染の治療に役立つだろう、と書いています。ただし、論文で具体的に挙げたのは、傷などの体の表面に塗る使い方でした。そして、そのあとの研究時間の多くは、培地に混ぜて細菌を選び分ける使い方の研究にあてられました。
フレミングは、のちにノーベル賞の講演で、こう振り返っています。自分たちは細菌学者で、化学者ではなかった。だから、ペニシリンを濃くすることに失敗した、と。フレミングは1936年までに何度か論文でペニシリンに触れましたが、注目する人はほとんどいなかったそうです。
05発見から12年後、オックスフォード大学のチームがペニシリンを薬にした
この流れを変えたのは、オックスフォード大学の2人の研究者です。ハワード・フローリー(Howard Florey)と、化学者のエルンスト・チェーン(Ernst Chain)でした。1938年、2人は、細菌を抑える物質の研究を始めることにしました。そして、研究する物質の一つにペニシリンを選びました。使ったカビは、フレミングが植え替えて生かしておいたものです。
1940年5月25日、チームは8匹のマウスに、溶血性レンサ球菌という細菌を感染させました。そして、そのうちの4匹にだけペニシリンを注射しました。約16時間半後、注射しなかった4匹は死に、注射した4匹は生きていました。この結果は、1940年8月24日に、医学誌『ランセット』に7人の名前で発表されました。
1941年2月には、ペニシリンが感染症の患者に初めて使われました。患者の警察官はいったん回復しましたが、ペニシリンがなくなり、また悪くなって亡くなりました。研究室で作れるペニシリンの量では、足りなかったのです。
そこで、フローリーと研究員のヒートリー(Norman Heatley)は、1941年7月にアメリカへ渡りました。イリノイ州ピオリアにある農務省の研究所では、カビの新しい育て方が開発されました。トウモロコシからでんぷんを取ったあとの液(コーンスティープリカー)を使い、深いタンクに空気を送りこみながらカビを育てる方法です。さらに、ピオリアの市場で見つかったカビの生えたメロンから、ペニシリンをたくさん作るカビが見つかりました。
1944年6月のノルマンディー上陸作戦のころには、けがをした兵士の治療に使えるだけの量のペニシリンがそろっていました。1945年のノーベル生理学・医学賞は、フレミング、フローリー、チェーンの3人に贈られました。
深掘り講義
ここから先は、もう一段深く。しくみ・史料・論争まで踏み込みます。
ペニシリンを「見つけること」と「薬として使えるようにすること」は、別の種類の仕事だった
1945年のノーベル賞の授賞理由は、2つでした。ペニシリンを発見したことと、ペニシリンがいろいろな感染症を治すと分かったことです。1つの賞の中に、2つの仕事が並んでいます。
1つめの仕事は「発見」です。ふしぎな現象に気づいて、物質に名前をつけ、報告することです。2つめの仕事は「実用化」です。物質を取り出して壊れにくくし、動物で効き目を確かめ、患者に届けられる量を作ることです。
2つの仕事では、必要な技術がまったく違います。発見に必要だったのは、細菌学者の目でした。実用化には、壊れやすい物質を取り出す化学の技術と、動物実験の計画を立てる力が必要でした。さらに、大きなタンクでカビを育てる技術も必要でした。
オックスフォード大学では、病理学者のフローリーや化学者のチェーンなど、10人あまりの研究者がチームを組みました。そこに、アメリカの農務省の研究所と、薬を作る会社が加わりました。
新しいものを「見つける」ことと、社会で「使われるようになる」ことは、別のことです。ペニシリンは、この2つの間に長い時間がかかった例です。
フレミングの研究室とオックスフォードのチームでは、ペニシリンを確かめる実験の方法が違った
ヘアは、フレミングが治療薬への道を進まなかった理由として、研究室の考え方を挙げています。フレミングがいた部門では、動物を病気にして薬を試す方法を、信用していませんでした。その代わりに、試験管の中で人の血液と細菌を混ぜ、血液が細菌を殺す力がどう変わるかを見る方法を使っていました。
この方法では、ペニシリンは血清の中で弱まり、ウサギの血液からはすぐに消えました。これを見れば、「ペニシリンを血液に乗せて、体の奥の感染まで届けるのは難しそうだ」と考えるのは、自然なことです。
一方、オックスフォードのチームは、マウスを細菌に感染させてから、ペニシリンで治療する実験を行いました。そして、マウスが生きるか死ぬかという、はっきりした答えを得ました。同じペニシリンでも、どんな実験で確かめるかによって、見え方が変わったのです。
思いがけない発見をするには、運だけでなく、気づく力も必要だった
思いがけず、運よく何かを見つけることを、英語でセレンディピティ(serendipity)と呼びます。1754年に、作家のホレス・ウォルポールが作った言葉です。ペルシアのおとぎ話『セレンディップの3人の王子』がもとになっています。セレンディップは、スリランカの古い呼び名です。
ペニシリンの発見には、いくつもの運が重なっています。下の階にカビの研究室があったこと。寒い日が9日続いたこと。捨てる前のシャーレを、たまたま同僚に見せたこと。
けれども、フレミングがシャーレを見て「おかしい」と気づけたのには、理由があります。フレミングは1922年に、リゾチームという、細菌を抑える別の物質を見つけていました。そのため、細菌が溶けるようすを調べる方法を、すでに身につけていたのです。フレミング本人は、講演でこう話しています。「私の唯一の功績は、その観察を見過ごさなかったことだ」(フレミング、1945年のノーベル賞講演)。
「カビは窓から入った」という話は、本人の発言が伝記で広まって事実のように思われた
記録がいつ、どうやって作られたかを調べると、「カビは窓から入った」は、言い伝えが事実のように広まった例だと分かります。
一番古い記録は、発見から17年後の本人の発言で、発見したときのメモではありません。その発言が人気のある伝記に載り、何度も引用されるうちに、「事実」のように思われるようになりました。
ただし、ヘアの説も、実験と気温の記録をもとに、1928年のできごとを組み立て直したものです。ヘアが発表したのは1970年です。説得力はありますが、1928年にカビの胞子が階段をのぼるところを見た人はいません。有名な話を調べるときは、「いつ、誰が、何を証拠に書いたか」を、一つずつ確かめる必要があります。
06まとめ
ペニシリンは、片づけ忘れたシャーレに生えたカビから見つかりました。ただし、「カビは窓から飛んできた」という話は、17年後にフレミング本人が語ったものです。カビは下の階のカビの研究室から来た、という説のほうが有力です。
ペニシリンは壊れやすく、注射しても血液からすぐに消えてしまいました。そのペニシリンを薬にしたのは、1940年のオックスフォード大学のチームと、アメリカで開発された大量生産の技術でした。
片づけ忘れたシャーレから人を救う薬ができるまでには、ロンドンの寒い9日間と、薬になるまでの12年と、オックスフォードの実験の8匹のマウスがありました。
人に話すなら、こう言おう
ペニシリンのカビって「窓から飛んできた」って言われるけど、その話が出たのは17年後なんだって。下の階のカビの研究室から来た説が有力で、しかも寒い日が9日続いたおかげらしいよ。
英語で読む
Did the Mold Really Come Through the Window?
英文をタップすると、その文の訳が出ます。
In 1928, Alexander Fleming worked at a hospital in London.1928年、アレクサンダー・フレミングはロンドンの病院で働いていました。 He studied bacteria, very small living things that can make people sick.彼は細菌を研究していました。細菌とは、人を病気にすることもある、とても小さな生き物です。 Before a two-week vacation, he left some glass dishes of bacteria on his lab table.2週間の休暇の前、彼は細菌の入ったガラスの皿を何枚か、実験台の上に置いたままにしました。
In September, he looked at the old dishes again.9月、彼はその古い皿をもう一度見ました。 On one dish, a green mold was growing.1枚の皿に、緑色のカビが生えていました。 Around the mold, the bacteria were gone.カビのまわりでは、細菌が消えていました。 Something from the mold was killing them.カビから出る何かが、細菌を殺していたのです。 Fleming called it penicillin.フレミングはそれをペニシリンと名づけました。
Many people say the mold came in through an open window.カビは開いた窓から入ってきた、と多くの人が言います。 But Fleming told this story only in 1945, seventeen years later.でもフレミングがこの話をしたのは、17年後の1945年になってからでした。 A scientist named Ronald Hare said the windows were almost never open.ロナルド・ヘアという科学者は、窓はほとんど開けられなかったと言いました。 He believed the mold came from a mold lab on the floor below.彼は、カビはすぐ下の階にあったカビの研究室から来たと考えました。
Fleming wrote about penicillin in 1929.フレミングは1929年にペニシリンについての論文を書きました。 But he could not make it into a medicine.でも、それを薬にすることはできませんでした。 It broke down easily, and in a rabbit's blood it was gone in 30 minutes.ペニシリンはこわれやすく、ウサギの血液の中では30分で消えてしまったのです。 Few people paid attention to his paper.彼の論文に注目する人はほとんどいませんでした。
In 1940, a team at Oxford University tried again.1940年、オックスフォード大学のチームがもう一度挑戦しました。 Howard Florey and Ernst Chain gave penicillin to four sick mice.ハワード・フローリーとエルンスト・チェーンは、病気にした4匹のマウスにペニシリンを与えました。 Four other sick mice got nothing.別の4匹の病気のマウスには何も与えませんでした。 After about 16 hours, only the mice with penicillin were still alive.約16時間後、まだ生きていたのはペニシリンを受けたマウスだけでした。 Later, American labs found ways to grow the mold in large tanks.その後、アメリカの研究所が大きなタンクでカビを育てる方法を見つけました。 In 1945, Fleming, Florey, and Chain shared the Nobel Prize.1945年、フレミング、フローリー、チェーンの3人はノーベル賞を共同で受けました。 The idea came from one dirty dish, but proving it worked as a medicine took twelve years.始まりは1枚の汚れた皿でしたが、それが薬として効くと示すまでに12年かかったのです。
4択問題 Reading Quiz
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Q1What is this story mainly about?
この話は主に何についてのものですか。
正解:B How penicillin was found and later became a medicine
第2段落で皿の上のカビからペニシリンが見つかり、第5段落でオックスフォードのチームが薬にした流れが書かれているので正解はB。Aの休暇は第1段落に出てくるだけで、話の中心ではない。
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Q2When did the team at Oxford test penicillin on mice?
オックスフォードのチームがマウスでペニシリンを試したのはいつですか。
正解:C In 1940
第5段落1文目に In 1940, a team at Oxford University tried again. とあり、続けてマウスの実験が書かれているので正解はC。1929年はフレミングが論文を書いた年、1945年はノーベル賞の年。
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Q3Why could Fleming not make penicillin into a medicine?
フレミングがペニシリンを薬にできなかったのはなぜですか。
正解:A It broke down easily and did not stay in the blood.
第4段落3文目に、こわれやすく、ウサギの血液の中では30分で消えたとあるので正解はA。マウスの実験をしたのはオックスフォードのチームなので、Dは違う。
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Q4In paragraph 4, the words "broke down" are closest in meaning to:
第4段落の "broke down" に最も意味が近いのはどれですか。
正解:D stopped working
直後に「血液の中では30分で消えた」と続くので、ペニシリンが効き目を失う、こわれるという意味だとわかる。正解はD。A〜Cは文の流れに合わない。
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Q5Which is true about the "open window" story?
「開いた窓」の話について正しいのはどれですか。
正解:B Ronald Hare thought the mold came from the floor below.
第3段落4文目に、ヘアはカビが下の階の研究室から来たと考えたとあるので正解はB。第3段落2文目のとおり、フレミングがこの話をしたのは17年後の1945年なので、AとDは違う。
重要語 Key Words(タップで裏返る)
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bacteria名詞(複数形)細菌、バクテリア
Some bacteria live in our stomachs and help us.
おなかの中に住んで、私たちを助けてくれる細菌もいる。
💡 単数形は bacterium。ふつうは複数形の bacteria で使う。
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mold名詞カビ
There was green mold on the old bread.
古いパンに緑色のカビが生えていた。
💡 イギリスつづりは mould。moldy で「カビの生えた」。
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vacation名詞休暇、休み
We went to the beach during summer vacation.
私たちは夏休みに海へ行った。
💡 on vacation で「休暇中で」。イギリスでは holiday ということが多い。
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medicine名詞薬、医学
Take this medicine after dinner.
この薬は夕食のあとに飲んでください。
💡 「薬を飲む」は take medicine。drink は使わない。
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break down句動詞こわれる、分解される
My old bike broke down on the way to school.
古い自転車が学校へ行く途中でこわれた。
💡 機械が故障する、物質が分解される、の両方に使う。名詞は breakdown。
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pay attention to熟語〜に注意を払う、〜に注目する
Please pay attention to the teacher.
先生の話をよく聞いてください。
💡 pay(払う)+ attention(注意)。注意を「お金のように払う」と覚える。
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alive形容詞生きている
The fish in the box were still alive.
箱の中の魚はまだ生きていた。
💡 名詞の前には置かず、be alive の形で使う。反対は dead。
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share動詞分け合う、共有する
I shared my lunch with my friend.
私は友だちと昼ごはんを分け合った。
💡 share A with B で「AをBと分け合う」。賞を「共同で受ける」にも使う。
SOURCES出典・ウラ取り
この記事の事実は、次の資料を実際に開いて確認しています(確認した事実 39件)。
- Fleming, A. (1929) On the Antibacterial Action of Cultures of a Penicillium, British Journal of Experimental Pathology 10:226–236pmc.ncbi.nlm.nih.gov
- Hare, R. (1982) New light on the history of penicillin, Medical History 26:1–24doi.org
- Chain, E., Florey, H. W. et al. (1940) Penicillin as a chemotherapeutic agent, The Lancet 236:226–228doi.org
- Alexander Fleming(Science History Institute)sciencehistory.org
- Howard Walter Florey and Ernst Boris Chain(Science History Institute)sciencehistory.org
- Penicillin: Opening the Era of Antibiotics(USDA農業研究局)ars.usda.gov
- Fleming, A. (1945) Nobel Lecture: Penicillin(NobelPrize.org)nobelprize.org
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