
1518年ストラスブールの「踊りの病」で、当時の記録に死者は書かれていない
「踊りの病」で踊ったのは、当時の記録では約50人
この判定の対象「1518年ストラスブールの踊りの病で、何十人も踊り死んだ」
もくじ
1518年の夏、今のフランス東部にある町、ストラスブール。1人の女性が通りで踊り始めました。すると、それをまねて踊り出す人が次々に現れました。
この出来事は「踊りの病」と呼ばれ、よくこう語られます。「1人の女性から始まり、1か月で400人が踊り出した。何日も踊り続け、疲れきって死ぬ人も出た」。
ところが、事件と同じ時代に書かれた記録を調べた歴史家は、まったく違うことを指摘しています。当時の記録に出てくる踊り手は、約50人。そして、死者のことはどこにも書かれていないというのです。
この記事では、まず今よく知られている「400人の踊り」の話を確かめます。次に、当時の3つの記録に何が書かれているかを見ます。最後に、「踊り死んだ」という話や女性の名前が、いつ、どこから加わったのかをたどります。
01よく知られた話では「約400人が踊り、何十人も死んだ」
「400人」の話を本にまとめた1人が、歴史学者ジョン・ワラー(John Waller)です。ワラーはアメリカのミシガン州立大学で歴史を研究し、2008年にこの出来事についての本を出しました。
ワラーは2009年、英国心理学会の雑誌にこう書いています。年代記(その時代の出来事を年ごとに書いた記録)によると、踊りは男女や子ども約400人をのみこみ、何十人もの死者を出した。
2008年にイギリスの新聞ガーディアンに書いた文章では、さらに詳しく説明しています。町の当局は、踊り続ければ治ると考えた。そこで特別な舞台を作り、笛と太鼓の楽師を雇った。踊る人が休まないように、支える踊り手まで雇った。まもなく、疲れきって死ぬ人が出始めた。
アメリカのスミソニアン協会の雑誌も、2016年の記事で同じような話を紹介しています。7月に「フラウ・トロフェア」という女性が踊り始め、1か月のうちに400人が加わった、というものです。
02事件と同じ時代に書かれた3つの記録には、名前のない女性と約50人しか出てこない
ワラーの本は2016年にフランス語に訳されました。それを読んだのが、歴史家エリザベート・クレメンツ(Élisabeth Clementz)です。クレメンツは、アルザス地方の歴史の学術雑誌に、厳しい書評を書きました。アルザスは、ストラスブールがある地方の名前です。
クレメンツは、事件と同じ時代に書かれた記録として、次の3つを挙げています。
- セバスティアン・ブラントの年代記。
- ヒエロニムス・ゲープヴィラーの年代記。
- 町を治める参事会が、司教(その地方の教会のいちばん上の人)に出した返事。
3つとも、踊り始めた1人の女性のことを書いています。でも、女性の名前は書いていません。そして、その女性をまねた人は「約50人」です。
クレメンツは、当時の医者たちの意見も紹介しています。医者たちは、これを「自然の病気」だと考えました。原因は、星の並び方と、季節の暑さだというのです。病気の人たちは、サヴェルヌという町の上にあるホーレンシュタインの巡礼地へ送られました。そこは、聖ウィトゥス(キリスト教の聖人の1人)をまつる場所でした。

03「踊り死んだ」という話は、事件から60年以上たって書かれた記録から出てくる
クレメンツは書評の中で、こう指摘しています。当時の書き手で、この踊りの病による死者に触れている人は、1人もいない。
では、「死者が出た」という話はどこから来たのでしょうか。クレメンツによると、ワラーが頼ったのは、2人の書き手の記録でした。1人は、1580年ごろに記録を書いたシュペックリン(D. Specklin)です。1580年は、事件の62年後にあたります。
もう1人は、ヴェンカー(Wencker)です。ヴェンカーが生まれたのは1590年で、事件の72年後でした。ワラーは、ヴェンカーが生き残った人の記憶をもとに書いたと考えました。でもクレメンツは、事件の72年後に生まれた人の話が信じられるのか、と疑問を投げかけています。
つまり、「何十人もの死者」という話は、事件から60年以上たって書かれた記録にもとづいています。その前の、事件と同じ時代の3つの記録には、死者の話はありません。
「約400人」という数が、どの記録から来たのかは、クレメンツの書評には書かれていません。はっきりしているのは、当時の3つの記録が書く踊り手は約50人だ、ということです。
04「フラウ・トロフェア」という名前は、医者パラケルススの書いたものだった
次は、最初に踊った女性の名前です。フラウは、ドイツ語で「〜夫人」という意味です。
クレメンツによると、この名前を書いたのは、16世紀の医者パラケルスス(Paracelsus)でした。パラケルススは、踊りの病の始まりを「フラウ・トロフェア」という女性にさかのぼらせました。けれどパラケルススは、それがどこの町の、何年のことなのかを書いていません。
ワラーの本は、このトロフェアを1518年のストラスブールの女性として描きました。さらに、「パンや肉が足りずに弱っていた」などの細かい様子も書き加えました。クレメンツは、こうした細部を、根拠なく足された部分として挙げています。ワラーの本が、ありもしない「ストラスブールの医者の組合」を書いてしまった、という誤りも指摘しました。ただしこの誤りは、訳した人のものかもしれない、とも書いています。
クレメンツの結論は厳しいものでした。ワラーの本は、科学の本というより歴史小説に近い、というのです。
深掘り講義
ここから先は、もう一段深く。しくみ・史料・論争まで踏み込みます。
同じ時代の記録と、後の時代の記録では、重みが違う
歴史を調べる人は、記録を「いつ、だれが書いたか」で分けて考えます。出来事と同じ時代に書かれた記録を「同時代史料」といいます。何十年も後に書かれた記録は、「後代の史料」です。
後代の史料は、うわさや、聞き伝えで変わった話を書き写していることがあります。人数が増えたり、名前や細かい場面が足されたりしやすいのです。1518年の踊りの病では、同時代史料の「約50人」が、今の本では「約400人」になっています。
ただし、後代の史料がすべて間違いというわけではありません。後の書き手が、今は失われた記録を見ていた可能性もあります。だから歴史家は、「同時代史料にない話は、確かめられない話として区別する」という態度をとります。クレメンツの書評は、その区別をはっきり示した例です。
なお、この記事が書いた3つの記録の中身は、クレメンツの書評で確かめたものです。記録の原文そのものは、今回は読めていません。ワラーは、当時の町の当局があわてて出した命令の文書も残っている、と書いています。クレメンツの書評は、その命令を名指ししていません。ただしクレメンツは、ワラーへの反論として、「事件と同じ時代の文書は、死者のことを何も書いていない」とまとめています。
「踊りの病」は、ヨーロッパで何度も記録された
踊りの病は、ストラスブールだけの出来事ではありません。ランスカ(Lanska)が神経学の論文集に書いた論文によると、14世紀に始まり、17世紀の初めまで、ドイツやオランダ、ベルギーなどでくり返し起きました。「コレオマニア(choreomania)」とも呼ばれます。「踊り(choros)」と「狂気(mania)」を合わせた言葉です。
ワラーによると、1374年にはライン川沿いの何十もの町で、何百人もが踊りに取りつかれました。ランスカは、16世紀の医者パラケルススが「聖人が病を起こす」という考えを退けたことにも注目しています。パラケルススは心の働きや仮病で説明しようとし、これによって踊りの病は、医者が扱う問題になりました。
人々がなぜ踊ったのかは、今も説が分かれている
ワラーは、踊りの病を「集団心因性疾患」の一種だと考えています。原因となる病原体が見つからないのに、2人以上の人に体の症状が集団で出ることです。ワラーによると、1518年の前の10年、ストラスブールの周りでは飢えや病気、ひどい寒さが続きました。パンの値段は一世代でいちばん高くなり、梅毒という新しい病気も広がっていました。
そのうえ人々は、「聖ウィトゥスが踊りの呪いをかける」と信じていた、とワラーは書きます。強い不安と、その信仰が重なり、人々はトランス状態(意識がぼんやりして、自分を止められない状態)に入ったという説明です。
集団心因性疾患は、昔だけの話ではありません。ワラーの文章によると、1965年にイギリスのブラックバーンの学校で、数人の生徒が倒れたのをきっかけに、最大141人がめまいや吐き気などを訴えました。
一方でランスカは、原因は1つではなかったと考えます。心因性の病気に加えて、仮病や、儀式のような行動も重なっていたというのです。そしてクレメンツが示したように、話のもとになる記録そのものを確かめ直すことも、原因を考える前の大事な一歩です。
05まとめ
1518年の夏、ストラスブールで1人の女性が踊り出し、約50人がまねました。ここまでは、事件と同じ時代の3つの記録に書かれています。医者たちは星の並びと暑さによる病気と考え、病人を聖ウィトゥスの巡礼地へ送りました。
「何十人も踊り死んだ」という話は、事件の60年以上後の記録から出てきます。「400人」という数も、当時の3つの記録には出てきません。最初の女性の名前とされる「フラウ・トロフェア」も、パラケルススが場所も年も書かずに記したものです。当時の記録で、その女性に名前はありません。
人に話すなら、こう言おう
1518年のストラスブールで人々が踊り続けた「踊りの病」って、400人が踊って何十人も死んだって言われるよね。でも当時の記録だと、踊ったのは約50人で、死者の話は出てこないんだって。
英語で読む
The Dance That Grew Bigger in the Telling
英文をタップすると、その文の訳が出ます。
In the summer of 1518, a woman began to dance in the streets of Strasbourg.1518年の夏、ストラスブールの通りで1人の女性が踊り始めました。 Strasbourg is a city in the east of France today.ストラスブールは、今のフランス東部にある町です。 Soon other people started to dance too.まもなく、ほかの人たちも踊り始めました。 Today, many books and websites tell a scary story about it.今では、多くの本やウェブサイトが、この出来事について怖い話を伝えています。
They say that about 400 people danced for days.それによると、約400人が何日も踊り続けたそうです。 They also say that dozens of people died from it.さらに、何十人もの人がそのせいで亡くなったと言います。 A historian named John Waller wrote a book about the event in 2008.ジョン・ワラーという歴史学者は、2008年にこの出来事についての本を書きました。
But another historian, Elisabeth Clementz, checked the records from that time.しかし、別の歴史家エリザベート・クレメンツは、その時代の記録を確かめました。 She wrote about them in a history journal in 2016.彼女は2016年に、そのことを歴史の学術雑誌に書きました。 She looked at three records written at that time.彼女は、その時代に書かれた3つの記録を調べました。 All three tell about one woman who started dancing.3つとも、踊り始めた1人の女性のことを書いています。 They say that about 50 people copied her.そして、約50人が彼女をまねたと書いています。 None of them gives her name.どの記録も、彼女の名前を書いていません。 Doctors at that time said it was a natural illness caused by the stars and the summer heat.当時の医者たちは、それは星の並びと夏の暑さによる自然の病気だと言いました。 And none of them says that anyone died.そして、だれかが死んだとはどの記録も書いていません。
So where did the deaths come from?では、死者の話はどこから来たのでしょうか。 They come from later writers.それは、後の時代の書き手から来ています。 One wrote around 1580, about 62 years after the event.1人は、出来事の約62年後の1580年ごろに書きました。 Another was born in 1590, 72 years after it.もう1人は、出来事の72年後の1590年に生まれた人でした。 The famous name Frau Troffea comes from a doctor called Paracelsus.有名な「フラウ・トロフェア」という名前は、パラケルススという医者から来ています。 But he did not say where or when she lived.でも彼は、彼女がどこに、いつ生きていたのかを書いていません。
In this story, 50 dancers became 400 dancers.この話では、50人の踊り手が400人になりました。 That is why historians always ask, "When was this written, and by whom?"だから歴史家はいつも、「これはいつ、だれが書いたのか」と問うのです。
4択問題 Reading Quiz
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Q1What is this story mainly about?
この話は主に何についてのものですか。
正解:B How a story about a dancing event grew bigger
第2段落で今よく語られる話(400人・何十人もの死者)、第3〜4段落で当時の記録と後の記録の違い、第5段落で50人が400人になったと述べているので正解はB。Dのパラケルススは第4段落に少し出てくるだけ。
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Q2According to the records from that time, about how many people copied the woman?
その時代の記録によると、約何人がその女性をまねましたか。
正解:A 50
第3段落5文目に about 50 people copied her とあるので正解はA。400は今よく語られる話の数、62と72は後の書き手が出来事から何年後かを表す数なので違う。
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Q3Why are the stories about deaths hard to trust?
死者についての話が信じにくいのはなぜですか。
正解:C Because they come from writers many years after the event.
第4段落で、死者の話は後の書き手(1580年ごろ、1590年生まれ)から来ていると述べているので正解はC。Dは、第3段落で3つの記録の中身が紹介されているので違う。
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Q4In paragraph 3, the word "copied" is closest in meaning to
第3段落の copied という語に最も意味が近いのはどれですか。
正解:D did the same thing as
第3段落で、踊り始めた女性を約50人が copied した、つまり同じように踊り出したという意味なので正解はD。
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Q5Which is true about the story?
この話について正しいのはどれですか。
正解:A The records from that time do not say that anyone died.
第3段落の最後の文に none of them says that anyone died とあるので正解はA。Bは、第4段落にパラケルススは場所も時も書かなかったとあるので違う。
重要語 Key Words(タップで裏返る)
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historian名詞歴史家、歴史学者
The historian studied old letters from the war.
その歴史家は戦争中の古い手紙を研究した。
💡 history(歴史)+ -ian(人)。a historian と書くことが多い。
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record名詞記録
There is no record of his birth.
彼の生まれた記録はない。
💡 名詞は前を強く、動詞「記録する」は後ろを強く読む。
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copy動詞まねる、写す
My little brother copies everything I do.
弟は私のすることを何でもまねする。
💡 名詞で「写し、(本の)1冊」。過去形は copied。
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journal名詞学術雑誌、日誌
She wrote an article for a science journal.
彼女は科学の学術雑誌に論文を書いた。
💡 journalist(記者)も同じ仲間の語。
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event名詞出来事、行事
The school festival is a big event for us.
文化祭は私たちにとって大きな行事だ。
💡 アクセントは後ろ(e-VENT)。
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scary形容詞怖い
We watched a scary movie last night.
昨夜、私たちは怖い映画を見た。
💡 scare(怖がらせる)の形容詞。scared は「怖がっている」。
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dozens of熟語何十もの
Dozens of birds sat on the wire.
何十羽もの鳥が電線にとまっていた。
💡 dozen は「12(ダース)」。dozens of で「たくさんの」に近い。
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trust動詞信用する、信じる
You can trust her. She always tells the truth.
彼女は信用できるよ。いつも本当のことを言うから。
💡 名詞も同じ形。trust in ~ で「~を信頼する」。
SOURCES出典・ウラ取り
この記事の事実は、次の資料を実際に開いて確認しています(確認した事実 30件)。
- Clementz, É. (2016) Waller (John), Les danseurs fous de Strasbourg(書評), Revue d'Alsace 142, pp.451-453doi.org
- Waller, J. (2009) Dancing plagues and mass hysteria, The Psychologist(英国心理学会)bps.org.uk
- Jarrett, C. (2008) The sorry souls who danced til they dropped, literally(英国心理学会 Research Digest)bps.org.uk
- Lanska, D. J. (2018) The Dancing Manias: Psychogenic Illness as a Social Phenomenon, Frontiers of Neurology and Neuroscience 42(PubMed)pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
- Fessenden, M. (2016) A Strange Case of Dancing Mania Struck Germany Six Centuries Ago Today(Smithsonian Magazine)smithsonianmag.com
公式ページで見てみよう
- クレメンツの書評(フランス語。OpenEdition)journals.openedition.org
文章はすべて資料をもとに独自の言葉で書いています。画像はオリジナルのイメージです。誤りにお気づきの方は訂正窓口へ。
NEXT TRIVIAこの雑学にうなった人は、これにもうなる
No.016ウソFALSEナポレオンの身長は約169cmで、当時のフランス人の平均より高かった
「背の低いナポレオン」は、イギリス発のイメージ。
No.017ウソFALSE「パンがなければお菓子を」は、マリー・アントワネットの言葉ではなかった
いちばん古い記録は、ルソーの自伝にある。
No.018グレーGRAYガリレオがピサの斜塔で球を落とした実験は、本当にあったのか
斜塔の実験は、約60年後の記録にしか出てこない。
No.161ホントTRUE宇宙のちりは、毎年約5200トンも地球に降っている
南極の井戸の底から、宇宙のちりが見つかった。
No.197ホントTRUE誕生日が自分と同じ人がいる確率を50%にするには、自分以外に253人が必要
23人いれば、誕生日が同じ2人がいる確率は50%超
No.114グレーGRAYサンドイッチ伯爵が賭けの最中に食べた、という話は本当か分からない
元の本には、伯爵の名前が書いていない。