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1ビット消すと熱が出る。マクスウェルの悪魔を退治した「ランダウアーの原理」と実験

1ビット消すと熱が出る。マクスウェルの悪魔を退治した「ランダウアーの原理」と実験

読む前に予想してみよう!

情報を消去する操作には、どんなに工夫しても避けられない最小限の発熱がある

研究カード(どんな研究?)
対象
水中の微粒子1個(コロイド粒子)
規模
単一粒子の繰り返し測定
研究の種類
物理実験(理論検証)
確かさ
★★★★☆
3秒でわかる

情報を1ビット消すたびに、最低限の熱が必ず出る。1961年の理論予言を、2012年にレーザーで捕まえた小さな粒1個で確かめた実験がある。

ひとことで言うとデータを「消す」だけで、ほんの少し熱が出ることが実験でわかった!

論文スペック表研究デザイン・規模・結果・その後(玄人向け)
研究デザイン
物理実験(1961年の理論予言の検証)
系
水中のコロイド粒子1個を、レーザーで作った二重井戸ポテンシャルに閉じ込めた1ビットのメモリ
操作
壁を下げ、全体を傾け、壁を戻して、元が0でも1でも一方に寄せる消去を反復
主な指標
粒子の軌道から見積もった、1回の消去あたりの熱の平均
主な結果
消去時間を長くするほど平均の熱が減り、ランダウアー限界の値で頭打ち
限界
熱は軌道からの間接的な見積もりで、熱浴を直接測ったものではない
その後の追試・再分析
2014年のフィードバックトラップによる精密実験など
もくじ
  1. 150年以上前の思考実験「マクスウェルの悪魔」
  2. 悪魔のコストは「測定」ではなく「消去」だった
  3. 2012年、1粒のビーズで「消去の熱」を測る
  4. 確かめられたのは「何」なのか
  5. 研究史の中での位置づけ:「情報は物理的である」
  6. まとめ

スマホの写真を1枚消す。ノートの文字を消しゴムで消す。どちらも「なかったことにする」だけの、エネルギーとは無縁の操作に思えます。

ところが物理学には、情報を消すと、必ず熱が出るという原理があります。しかも、どんなに賢い機械を作っても下回れない「最低ライン」つきで。

1961年、IBMの物理学者ロルフ・ランダウアーが唱えたこの考えは、19世紀から物理学者を悩ませてきた「マクスウェルの悪魔」のなぞを解く鍵になりました。そして2012年、ついにレーザーで捕まえた1粒のビーズで実験的に確かめられたのです。

01150年以上前の思考実験「マクスウェルの悪魔」

1860年代、電磁気学で有名なマクスウェルは、こんな思考実験を考えました。

気体の入った箱を仕切りで2つに分け、仕切りに小さな扉をつけます。扉の前には、分子1個1個の速さが見える小さな存在、つまり「悪魔」がいる。悪魔は速い分子だけを右へ、遅い分子だけを左へ通します。

すると、何の仕事もしていないのに右は熱く、左は冷たくなる。熱力学第2法則が破れてしまうのです。

1929年にはレオ・シラードが、分子1個の箱で同じことを考えました。「分子が左右どちらにいるか」という1ビットの情報を使えば、まわりの熱から仕事を取り出せる。情報と熱エネルギーの関係が、「1ビット」という具体的な量で語られるようになりました。

02悪魔のコストは「測定」ではなく「消去」だった

では、悪魔はどこで「代償」を払っているのか。長い間、有力だったのは「分子を見る(測定する)ことにエネルギーがかかる」という説明でした。

これをひっくり返したのが、ランダウアーとチャールズ・ベネットです。

ランダウアーは1961年の論文で、計算の中でも元に戻せない操作(情報の消去)こそが、熱の発生と避けられない形で結びついていると論じました。1ビットを消すと、少なくとも「温度×ボルツマン定数×2の自然対数」ぶんの熱がまわりに出る。室温ならおよそ3×10のマイナス21乗ジュールという、とてつもなく小さな量です。

ベネットは1982年のレビューで、これを悪魔に当てはめました。測定そのものは、原理的にはエネルギーを使わずにできる。しかし悪魔は記憶の容量に限りがあるので、次の分子を見るためにはメモを消してリセットしなければならない。その消去のときに出る熱が、悪魔がかせいだ分をちょうど打ち消す。こうして第2法則は守られる、という筋書きです。

悪魔が代償を払うのは「見る」ときではなく「メモを消す」とき
悪魔が代償を払うのは「見る」ときではなく「メモを消す」とき

032012年、1粒のビーズで「消去の熱」を測る

理論は美しくても、1ビットぶんの熱はあまりに小さく、長いあいだ直接は測れませんでした。これに挑んだのが、フランスのリヨン高等師範学校のアントワーヌ・ベルーさん、セルジオ・チリベルトさんらと、ドイツの大学(カイザースラウテルン大学、アウクスブルク大学)の理論物理学者ラウール・ディレンシュナイダーさん、エリック・ルッツさんの共同チームです。

ポイントは「頭打ち」です。ゆっくり丁寧に消せば熱は減る。でも、どれだけゆっくりやっても限界より下には行かない。これがランダウアーの原理が予言した姿そのものでした。

その2年前の2010年には、中央大学と東京大学の研究チーム(鳥谷部祥一さん、沙川貴大さん、上田正仁さん、宗行英朗さん、佐野雅己さん)が、逆向きの実験を報告しています。回転する小さな粒の位置を見て、条件に合ったときだけ電場で作ったポテンシャルを切り替えることで、粒にした仕事よりも多くの自由エネルギーを粒に得させた。いわば「情報を燃料にしたエンジン」で、悪魔の動作を実際にやってみせたのです。

04確かめられたのは「何」なのか

ここから玄人ゾーン

ここまで読めば要点はつかめています。この先は反論・方法論・未解決の問いまで踏み込みます。

もうひとつ面白いのは、1回1回の消去では、熱(仕事)が限界を下回ることもある点です。熱ゆらぎのせいで、たまたま「得をする」回があるのです。2012年の論文も、1回ごとの熱はマイナスにさえなりうると述べており、2014年の精密実験も、1回ごとの仕事が限界を下回りうることを確かめています。ただし平均すれば限界は守られる。ミクロの熱力学では、法則は平均とゆらぎの両方で語る必要があります。

05研究史の中での位置づけ:「情報は物理的である」

ランダウアーは後年、「情報は物理的である」という標語を掲げました。情報は抽象的な数字ではなく、粒の位置や電荷の有無として必ず物質に書きこまれている。だから、それを消すことは物理現象であり、熱力学の法則から逃れられない、という考え方です。

ベネットは1973年に、消去さえしなければ、計算は原理的に熱を出さずに進められる(可逆計算)ことも示しています。2012年のベルーらの論文は、当時のシリコンの回路が論理演算1回あたりに出す熱を、ランダウアー限界のおよそ1000倍と見積もっています。限界はまだ遠いのです。それでも、計算の省エネの「究極の床」がどこにあるかを教えてくれる原理として、量子情報や分子機械の研究でも基準になっています。

06まとめ

情報を消すと熱が出る。1961年のランダウアーの予言は、ベネットによって悪魔退治の鍵になり、2012年に1粒のビーズで確かめられました。

データを消すたびに、宇宙のどこかでほんの少しエントロピーが増えている。情報は、思っているよりずっと「モノ」に近いのです。

この研究を英語で読もう原田英語の English CornerIn the 1860s, the physicist James Clerk Maxwell imagined a tiny creature, later called a demon, guarding a… 音声 4択クイズ9問A2・B1・B2タップして開く

原田英語の English Corner

この研究を英語で読もう

In the 1860s, the physicist James Clerk Maxwell imagined a tiny creature, later called a demon, guarding a small door between two boxes of gas. By letting only fast molecules pass one way and slow ones the other way, it could make one side hot and the other side cold without doing any work. That would break the second law of thermodynamics.

For a long time, scientists thought the demon paid a price when it looked at the molecules. Charles Bennett argued in 1982 that looking could be free in principle. The real cost comes later, because the demon must clear its memory to keep working. Rolf Landauer had argued in 1961 that erasing information always releases heat. So the heat from the demon's erased notes saves the second law.

130 words ・ CEFR B1

和訳を見る

1860年代、物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、気体の入った2つの箱の間にある小さな扉を見張る、ちっぽけな生き物を想像しました。のちに「悪魔」と呼ばれるものです。速い分子だけを一方へ、遅い分子だけを反対側へ通すことで、悪魔は何の仕事もせずに一方を熱く、もう一方を冷たくできてしまいます。これは熱力学第2法則を破ることになります。

長い間、科学者たちは、悪魔は分子を「見る」ときに代償を払うのだと考えていました。チャールズ・ベネットは1982年、見ることは原理的にはタダでできると論じました。本当のコストはその後にやってきます。悪魔は働き続けるために記憶を消さなければならないからです。ロルフ・ランダウアーは1961年に、情報を消すと必ず熱が出ると論じていました。だから、悪魔が消したメモから出る熱が、第2法則を守るのです。

4択リーディングクイズ

Q1. What is the passage mainly about?

Q2. According to Bennett, when does the demon pay its cost?

Q3. Why would the demon break the second law of thermodynamics?

重要単語

  • eraseB1
    動詞消去する、消すErasing data always costs a little energy. eraser(消しゴム)でおなじみ。delete はデータ、erase は記録全般に使える。
  • bitB1
    名詞ビット(情報の最小単位)A bit can be either 0 or 1. binary digit(2進数の桁)の短縮形。a bit「少し」と同じつづりなので文脈で判断。
  • releaseB1
    動詞放出する、出すBurning wood releases heat and light. release heat / energy / gas が理系の定番コロケーション。新作の「公開」の意味も。
  • entropyC1
    名詞エントロピー(乱雑さの度合い)The entropy of a closed system never goes down. ギリシャ語の「変化の中に」から。情報理論でも同じ語を使うのは偶然ではない。
  • demonB2
    名詞悪魔(思考実験の登場人物)Maxwell's demon was only a thought experiment. 発音は「ディーモン」。thought experiment(思考実験)とセットで覚えたい。
  • thermodynamicsC1
    名詞熱力学The second law of thermodynamics is hard to break. thermo-(熱)+dynamics(力学)。thermometer(温度計)の thermo- と同じ。
  • level offB2
    動詞(句)横ばいになる、頭打ちになるPrices rose quickly and then leveled off. グラフの説明で頻出。plateau も同じ意味。アメリカ式つづりは leveled。

4コマでわかる

1ビット消すと熱が出る。マクスウェルの悪魔を退治した「ランダウアーの原理」と実験の4コマ漫画
データを消すと、それだけで熱が出る。しかも物理法則で決まった「最低ライン」つき。1961年にIBMの研究者が予言したこの原理を、2012年に1粒のビーズで確かめた実験があるらしい。マクスウェルの悪魔退治にも関わる話。

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出典・参考文献(5件)タップで表示

原典ガイド:入門から読むと入りやすく、必読は議論の土台、発展はその先の論点です。

  1. 発展Landauer (1961) Irreversibility and Heat Generation in the Computing Process, IBM Journal of Research and Developmentdoi.org原理の出発点となった1961年の論文。元に戻せない操作と発熱の結びつきを論じる
  2. 入門Bennett (1982) The thermodynamics of computation—a review, International Journal of Theoretical Physicsdoi.org計算の熱力学のレビュー。悪魔のコストは「測定」ではなく「消去」にある、という議論の整理
  3. 必読Bérut et al. (2012) Experimental verification of Landauer's principle linking information and thermodynamics, Naturedoi.org2012年の検証実験の本論文。消去にかける時間と平均の発熱の関係が中心
  4. 発展Toyabe et al. (2010) Experimental demonstration of information-to-energy conversion and validation of the generalized Jarzynski equality, Nature Physicsdoi.org情報を使って粒子に自由エネルギーを得させた2010年の実験。一般化ジャルジンスキー等式の検証
  5. 発展Norton (2005) Eaters of the lotus: Landauer's principle and the return of Maxwell's demon, Studies in History and Philosophy of Modern Physicsdoi.orgランダウアーの原理の「一般的な証明」に疑問を投げた科学哲学の批判論文