デーモンコアとは? 2人の科学者の命を奪ったプルトニウム球と、臨界事故の教訓

読む前に予想してみよう!
デーモンコアの事故では、核爆発が起きて建物が吹き飛んだ
爆発は起きず、コアの被覆も壊れなかった。しかし一瞬で放出された中性子とガンマ線で、致死的な被ばくが起きた。
- 対象
- 臨界事故の記録
- 規模
- 世界の臨界事故の総覧(約60件)と医学報告
- 研究の種類
- 事故調査報告・症例報告
- 確かさ
- ★★★★☆
デーモンコアは米ロスアラモスの約6.2kgのプルトニウム球。1945年と46年の臨界実験で事故を起こし、2人の物理学者が亡くなった。教訓は今も安全の基本。
ひとことで言うと手作業の「ギリギリ実験」が一瞬で事故に。安全ルールの原点になった話。
もくじ
結論から言うと、デーモンコア(悪魔のコア)とは、第二次世界大戦末期にアメリカのロスアラモス研究所で作られた、重さ約6.2kgのプルトニウムの球のことです。
本来は兵器用に作られたこのコアは、1945年と1946年に2度の臨界事故を起こし、ハリー・ダグリアンとルイス・スローティンという2人の物理学者が亡くなりました。「デーモン」という名前は、事故のあとにつけられた通称です。
ネットではミーム(ネタ画像)として出回ることもありますが、実際に人が亡くなった事故です。この記事では、何が起き、何が教訓として残ったのかを、ロスアラモスの公式報告書をもとに整理します。
01デーモンコアとは? ソフトボール大の「臨界ギリギリ」の球
コアは、ニッケルでめっきしたプルトニウムの半球2つを合わせたもので、報告書の重さと密度から計算すると直径は9cmほど、ソフトボールくらいの大きさです。このままでは核分裂の連鎖反応は続きません。
ところが、周りを中性子を跳ね返す材料(反射体)で囲むと、外に逃げるはずの中性子が戻ってきて、連鎖反応が続く「臨界」に近づきます。研究者たちは、反射体を少しずつ足しながら、どこで臨界に達するかを測る実験をしていました。
021945年8月:手から滑り落ちた1個のレンガ
爆発は起きていません。コアの被覆も壊れませんでした。それでも、一瞬の核分裂で放たれた中性子とガンマ線が、命に関わる量の被ばくをもたらしたのです。
031946年5月:ドライバー1本で支えた半球
翌1946年5月21日、同じコアで2度目の事故が起きます。今度の反射体はベリリウムの半球の殻でした。
研究者スローティンは、数人の同僚に実験のやり方を実演していました。上側の半球を左手の親指で持ち、反対側のふちをマイナスドライバーの先で支えてすき間を調整していたところ、ドライバーが外れて半球が完全に閉じてしまいます。

彼はすぐに半球をはね上げて反応を止めましたが、部屋にいた8人が被ばくしました。報告書によると、スローティンの線量は約2,100レム。彼は9日後に亡くなりました。科学誌『Science』には、同僚たちによる追悼文が掲載されています。
この2つの事故で被ばくした人たちの経過は、ロスアラモスなどの医師・研究者らによって医学論文にまとめられ、急性放射線症候群を理解するための貴重な記録にもなりました。
04なぜ同じ事故が2回も起きたのか
2つの事故には共通点があります。
- 人の手で、臨界のすぐ近くまで材料を組み立てていた
- 万一のとき、体の外から自動で反応を止める仕組みがなかった
- 「慣れた作業」「すぐ終わる作業」という意識があった
スローティンの事故のあと、ロスアラモスでは臨界実験を人の手で組み立てるやり方をやめ、離れた場所から遠隔操作する方式へと移っていきました。報告書も、計画的な臨界実験は遮蔽や遠隔操作の条件で行うのが前提だとしています。
05日本も無関係ではない:東海村の臨界事故
この報告書には、1999年に茨城県東海村のJCOで起きた臨界事故も記録されています。ウラン溶液をステンレス製のバケツで、形の上で臨界になりやすい容器に注いだことで臨界が起き、作業員2人が亡くなりました。
報告書は原因のひとつとして、会社にも規制側にも「臨界事故は起こりえない」という思い込みがあったことを挙げています。50年以上の時を経ても、教訓の核心は同じでした。
06まとめ
デーモンコアは「呪われた球」ではなく、ぎりぎりの実験を人の手で行う危うさを世界に突きつけた事故の名前です。
亡くなった2人の経験は、遠隔操作や手順の厳守といった、今の安全ルールの土台になりました。「慣れたときこそ、いちど手を止める」。それが、この悲劇から私たちが受け取れるいちばん大切なメッセージです。放射線の基本はバナナは放射線を出しているもあわせてどうぞ。
この研究を英語で読もう原田英語の English CornerThe so-called demon core was a plutonium sphere of about 6.2 kilograms made at Los Alamos at the end of…
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4択クイズ9問A2・B1・B2タップして開く
原田英語の English Corner
この研究を英語で読もう
The demon core was a ball of plutonium. It weighed about 6.2 kilograms. Scientists at Los Alamos in the United States used it for tests. In 1945, a heavy block fell from a scientist's hand onto the core.
In 1946, a tool slipped during a test. There was no explosion, but strong radiation came out. Two scientists died. After that, these tests were done by remote control.
67 words ・ CEFR A2
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デーモンコアはプルトニウムの球でした。重さは約6.2キログラムでした。アメリカのロスアラモスの科学者たちは、それを実験に使っていました。1945年、重いブロックが科学者の手からコアの上に落ちました。
1946年には、実験中に道具が滑りました。爆発は起きませんでしたが、強い放射線が出ました。2人の科学者が亡くなりました。その後、こうした実験は遠隔操作で行われるようになりました。
4択リーディングクイズ
Q1. What is the passage mainly about?
プルトニウム球で起きた2度の事故の話なので C。
Q2. How much did the demon core weigh?
It weighed about 6.2 kilograms. とあるので A。
Q3. In this passage, "by remote control" means ...
remote control は「遠隔操作」。離れた場所から機械で操作することなので D。
The so-called demon core was a plutonium sphere of about 6.2 kilograms made at Los Alamos at the end of World War II. Scientists tested how close it was to criticality by surrounding it with materials that reflect neutrons back into it. In August 1945, a researcher was stacking heavy blocks around the core by hand when one slipped and fell onto it.
In May 1946, Louis Slotin held a reflector shell open with a screwdriver, and it slipped. In both cases there was no explosion, but a sudden burst of radiation killed the person working with the core. Afterwards, Los Alamos stopped doing such experiments by hand and switched to remote control.
113 words ・ CEFR B1
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いわゆるデーモンコアは、第二次世界大戦の終わりにロスアラモスで作られた、約6.2キログラムのプルトニウムの球でした。科学者たちは、中性子をはね返して中に戻す材料でコアを囲むことで、それが臨界にどれくらい近いかを調べていました。1945年8月、ある研究者が手でコアの周りに重いブロックを積み上げていたとき、1つが滑ってコアの上に落ちました。
1946年5月には、ルイス・スローティンが反射体の殻をドライバーで開けたまま支えていたところ、それが滑りました。どちらの場合も爆発は起きませんでしたが、突然の放射線の放出によって、コアを扱っていた人が亡くなりました。その後、ロスアラモスはこうした実験を手で行うのをやめ、遠隔操作に切り替えました。
4択リーディングクイズ
Q1. Why did scientists surround the core with certain materials?
tested how close it was to criticality by surrounding it with materials that reflect neutrons とあるので B。
Q2. What happened in May 1946?
held a reflector shell open with a screwdriver, and it slipped とあるので C。ブロックの落下は1945年。
Q3. What lesson can we draw from the two accidents?
2度の事故の後、手作業をやめ遠隔操作に切り替えたことから、臨界近くの手作業は危険すぎるという教訓が読み取れるので A。
The demon core, a nickel-plated plutonium sphere of about 6.2 kilograms produced at Los Alamos in the final days of World War II, earned its nickname only after two fatal criticality accidents. Researchers measured how near the core was to a sustained chain reaction by surrounding it with neutron reflectors. On 21 August 1945, Harry Daghlian was stacking 4.4-kilogram tungsten carbide blocks around it by hand when the final block slipped onto the core; he received about 510 rem and, according to the laboratory's official review, died 28 days later.
On 21 May 1946, Louis Slotin was demonstrating a procedure in which he held the upper half of a beryllium shell with his thumb while keeping a gap open with the tip of a screwdriver. The screwdriver slipped, the shell closed, and although he knocked it away at once, eight people were exposed, and Slotin died nine days later. Neither event caused an explosion; the harm came from an intense pulse of neutrons and gamma rays. Hands-on assembly was then replaced by remote operation. But the 1999 Tokaimura accident in Japan, partly blamed on a belief that criticality accidents could not happen, shows how easily such lessons fade.
198 words ・ CEFR B2
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デーモンコアは、第二次世界大戦の最後の日々にロスアラモスで作られた、ニッケルめっきを施した約6.2キログラムのプルトニウムの球で、2度の死亡臨界事故の後になって初めてそのあだ名がつけられました。研究者たちは、中性子の反射体でコアを囲むことで、それが連鎖反応の持続にどれくらい近いかを測定していました。1945年8月21日、ハリー・ダグリアンさんが4.4キログラムの炭化タングステンのブロックを手でコアの周りに積み上げていたところ、最後のブロックが滑ってコアの上に落ちました。
彼は約510レムを浴び、研究所の公式な総覧によると28日後に亡くなりました。1946年5月21日、ルイス・スローティンさんは、ベリリウムの殻の上半分を親指で持ち、ドライバーの先ですき間を開けたまま保つという手順を実演していました。ドライバーが滑って殻が閉じ、彼はすぐにそれをはねのけましたが、8人が被ばくし、スローティンさんは9日後に亡くなりました。どちらの事故でも爆発は起きておらず、害は中性子とガンマ線の強烈なパルスによるものでした。その後、手作業での組み立ては遠隔操作に置き換えられました。しかし、臨界事故は起こりえないという思い込みが一因とされた1999年の日本の東海村の事故は、こうした教訓がいかにたやすく薄れてしまうかを示しています。
4択リーディングクイズ
Q1. What caused the harm in the two accidents?
Neither event caused an explosion; the harm came from an intense pulse of neutrons and gamma rays. とあるので D。
Q2. How many people were exposed in the 1946 accident?
eight people were exposed とあるので B。9は亡くなるまでの日数、28は1945年の事故での日数。
Q3. Why does the writer mention the 1999 Tokaimura accident?
「臨界事故は起こりえない」という思い込みが一因とされ、教訓が薄れやすいことを示す例として挙げているので C。
重要単語
- criticalityC1名詞臨界(核分裂の連鎖反応が持続する状態)Criticality safety protects workers from chain reactions.
critical(臨界の・重大な)の名詞形。critical の「決定的な分かれ目」というイメージで覚える。 - plutoniumC1名詞プルトニウムThe core was made of plutonium.
冥王星 Pluto にちなむ名前。uranium(天王星 Uranus)、neptunium(海王星)も同じ命名。 - reflectorC1名詞反射体(中性子を跳ね返す材料)A reflector sends neutrons back into the core.
reflect(反射する)+-or。自転車の「反射板」も reflector。 - radiation exposureC1名詞(句)放射線被ばくThe workers suffered severe radiation exposure.
exposure は expose(さらす)の名詞形。be exposed to ~「~にさらされる」は入試頻出。 - procedureB2名詞手順Never skip a safety procedure.
proceed(進む)の名詞形の一つ。follow the procedure「手順に従う」。 - complacencyC1名詞慣れによる油断Complacency is a hidden danger in any workplace.
形容詞 complacent「自己満足した、油断した」。安全・ビジネスの英文で頻出。
このネタ、誰かに教えたくなった?
「デーモンコア」は2度の臨界事故を起こした6.2kgのプルトニウム球。1度目はブロックが手から滑り、2度目はドライバー1本で支えた半球が外れた。2人の物理学者が亡くなり、その教訓は今の安全ルールに生きている。
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出典・参考文献(4件)タップで表示
- McLaughlin et al. (2000) A Review of Criticality Accidents, 2000 Revision (LA-13638), Los Alamos National Laboratorydoi.org
- Hempelmann, Lisco & Hoffman (1952) The Acute Radiation Syndrome: A Study of Nine Cases and a Review of the Problem, Annals of Internal Medicinedoi.org
- Anderson, Novick & Morrison (1946) Louis A. Slotin 1912-1946, Sciencedoi.org
- Oettingen (2018) Criticality analysis of the Louis Slotin accident, Nuclear Engineering and Designdoi.org
※本記事は上記の研究・公開資料をもとに、原田英語が独自の言葉で解説したものです。引用は著作権法第32条の範囲で行い、出典を明記しています。画像はすべてオリジナルのイメージです。研究結果には限界や個人差があります。誤りのご指摘は原田英語のお問い合わせフォームから。











